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続縄文文化とは?北海道に弥生時代がないのはなぜ? 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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続縄文文化とは?北海道に弥生時代がないのはなぜ?

縄文時代の終期から、北海道では本州と異なった文化が形成されるようになっていきます。
その理由や続縄文文化の特色について見ていきましょう。

続縄文文化とは?:北海道では稲作文化ではなく狩猟採集文化が定着

本州の歴史では、縄文時代のあとに弥生時代(前3世紀~後3世紀頃)を迎えます。弥生時代の特徴は水稲農耕(すいとうのうこう)で、大陸から北九州に伝来した稲作文化は西日本から東日本、そして東北へと伝播し、前2世紀頃には本州北端の青森県域にまで広まっていました。

しかし、稲作文化が津軽海峡を越えることはありませんでした。当時の農耕技術では、寒冷な北海道での稲作はできなかったからです。つまり、北海道には「弥生時代はなかった」ということになります。

このため、北海道では本州とは異なる文化が育まれ、縄文文化を継承する独自の狩猟採集文化が生まれました。これを便宜上、続縄文(ぞくじょうもん)文化と呼びます。続縄文文化は本州における弥生~古墳文化と並行し、奈良時代を迎える8世紀頃まで続きます。

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