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鹿鳴館はなぜ閉鎖されたのか?~外交交渉の舞台として輝いたのはわずか4年 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年10月6日

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鹿鳴館はなぜ閉鎖されたのか?~外交交渉の舞台として輝いたのはわずか4年

日本外交史に鹿鳴館を舞台にした豪華絢爛な時代がありました。外国との不平等条約を解消するための鹿鳴館外交といわれたが、短期間で終焉を迎えることになります。

鹿鳴館とは

鹿鳴館(ろくめいかん)というと、外交官ら上流階級の日本人男女が、西洋の盛装をして舞踏している絵が連想されます。当時の日本人の服装とはかけ離れ、市民はどこかさめた目で見ていて、現実の世界との乖離が大きいものでした。 明治16(1883)年7月、麹町区内山下町(現在の千代田区内幸町)に、壮麗な煉瓦造2階建て洋館の鹿鳴館が完成しました。

建物は、日本に数多くの実績を遺したイギリス人建築技師ジョサイア・コンドルが設計し、建坪はなんと410坪で、2階の広間が舞踏会場です。食堂、ビリヤード室、奏楽室など社交のための施設のほか、外国からの賓客が宿泊するための客室もありました。コンドルはほかにも、高輪の三菱開東閣、三田綱町の三井倶楽部、ニコライ堂などを手がけ、辰野金吾ら建築家を育てました。コンドルは日本文化に傾倒し、絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に弟子入りするほどでした。

鹿鳴館の役割

「鹿鳴」とは迎賓を意味しています。同年11月28日、井上馨外務卿夫妻の主宰で開館式の夜会が開かれました。それまでは外賓を招待するにも適当な施設がなく、旧浜御殿や華族の邸宅などを借用していました。

当時の日本は、外国との不平等条約の改正交渉が大きな外交問題でした。交渉を本格的に進めるにあたり、井上馨外務卿は旧薩摩藩邸6000坪を整備、そこに迎賓施設を建設したのが鹿鳴館なのです。完成した鹿鳴館では、海外生活の経験がある大山巌夫人の大山捨松(すてまつ)らが指導して、会合から食事、宿泊にいたる接客万端の態勢が整えられ、外交交渉促進の舞台として脚光を浴びました。

当時の東京は、新旧交代の風俗が入り混じっていました。人力車、瓦斯燈(がすとう)、新聞紙、錦絵、ザンギリ頭などが文明開化を誇示していたのです。新旧交代の風俗に、ひとつの方向を示したのが鹿鳴館時代だったという見方もあります。

鹿鳴館は欧化主義排撃の風潮に打ち勝てず閉鎖

ですが、鹿鳴館時代は明治16〜20(1883〜1887)年にかけてのわずか4年で、その後急速に衰えます。明治20年代初頭から、国粋主義の台頭により欧化主義排撃の風潮が強まったこともあり、鹿鳴館時代はあっけなく幕を閉じるのです。

鹿鳴館は、極端な欧化政策や卑屈に見えた対外的な政治姿勢などから、明治23(1890)年に閉鎖され、明治27(1894)年に華族会館(華族の集会場)として払い下げられることになりました。 その後、鹿鳴館のあった敷地は昭和2(1927)年、日本徴兵保険(後の大和生命保険)に売却されましたが、当時はまだ鹿鳴館の建物は残されていました。しかし、不経済との理由から昭和15(1940)年に取り壊されます。建築家の中から取り壊し反対の声があがりましたが、その声は届くことはありませんでした。現在は跡地に残る碑だけが、鹿鳴館のあったことを語っています。

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・荒川放水路建設でねじ曲げられた東武線
・かつて山手線はチョコレート色だった!
・知られざる東京都港湾局専用線
・江戸川を走っていたマッチ箱電車とは?
・実働わずか8か月 国鉄武蔵野競技場線
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・江戸幕府を支えた大名屋敷のいま
・大名庭園は金食い虫だった!?
・築地本願寺は海の上に建てられた
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・明治・大正ロマンを感じる西洋建築
・都内最古の石橋・常磐橋
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■第5章 東京ゆかりの人物が愛した東京の街

・90年で引っ越し90回以上!葛飾北斎とすみだ
・正岡子規と文人の集う根岸の里
・飛鳥山に居を構えた渋沢栄一
・東急グループを作り上げた鉄道王・五島慶太
・西部王国を築いた堤康次郎と国立学園都市
・夏目漱石-『三四郎』が誕生した早稲田
・森鴎外が愛した千駄木
・青年期までの芥川龍之介を育んだ両国
・向島のラビラント-私娼窟・玉の井と永井荷風
・太宰治が好んだ三鷹の跨線橋も見納め?
・多くの文士・芸術家が集まった馬込文士村

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