フリーワード検索

トップ > カルチャー >  関西 > 大阪府 >

大阪の旧街道の痕跡~大阪から西国・京都・熊野へ!~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2021年11月25日

この記事をシェアしよう!

大阪の旧街道の痕跡~大阪から西国・京都・熊野へ!~

飛鳥時代以降、難波と都を結ぶ街道が整備されました。
摂津からは熊野三山や高野山へ参拝するための街道も設けられました。
府下にある旧街道をたどってみましょう。

旧街道は大阪の繁栄を支えた

大阪湾や淀川、大和川があり、物資の集散地であった大阪。舟で運ばれた大量の荷物は船着場で牛馬や荷車に乗せ換えられて陸上を運ばれました。

陸上交通の拠点となる街道の発展に影響をおよぼしたのは、都の位置と宗教施設の場所です。

【大阪の旧街道】奈良から九州までを結んだ山陽道

飛鳥時代に大和国(現・奈良県)から西の九州・大宰府へ向かう幹線道路として設けられたのが、山陽道(のちの西国街道)です。摂津を東西に横断する山陽道には、芥川(現・高槻市)や郡山(現・茨木市)、瀬川(現・箕面市)などの宿駅が設けられました。

【大阪の旧街道】のちの世まで繫栄した暗越奈良街道

奈良時代には、大和と難波(現・大阪市)を結ぶ東西方向の街道が重視され、丹比道(たじひみち)(のちの竹内街道)や大津道(のちの長尾街道)など複数の街道が整備されました。そのうちの1つが、難波と平城京を最短距離(約35㎞)で結ぶ暗越(くらがりごえ)奈良街道です。

奈良時代には、唐や新羅の外国使節団もこの街道を行き来したといいます。江戸時代には大名の参勤路としても利用されました。最盛期に16の旅籠が軒を連ねたのは、街道唯一の宿場町「松原宿」(現・東大阪市)です。

暗越奈良街道は伊勢参りにも使われた

また、大和郡山藩(現・奈良県大和郡山市)の本陣が暗峠(くらがりとうげ)(現・東大阪市と奈良県生駒市の境)の村に置かれました。江戸時代中期から後期には、庶民が使う伊勢参りの街道としても使われたそうです。

暗越奈良街道は伊勢参りにも使われた

旧街道の風情が残る暗峠

【大阪の旧街道】大阪と平安京を繋いだ三島道

三島道は、平安京と摂津国府(現・大阪市天王寺区または中央区)や河内国府(現・藤井寺(ふじいでら)市)をつなぐ街道として整備されました。難波から北上して太田宿(現・茨木市)あたりで山陽道と合流したと考えられています。

【大阪の旧街道】大阪から高野山への参拝道・高野街道

高野街道は都や摂津を始点とする、高野山への参拝道として整備されました。いくつかのルートがあり、それぞれに名前がつけられています。

高野街道のうち、もっとも東に位置する東高野街道は京と河内国府を結ぶ道路として重用されました。

816年に弘法大師が高野山に金剛峯寺を開基すると、貴族たちに高野山への参詣が流行。その後、庶民にも仏教信仰が広がり、東高野街道は参拝道としてぎわいました。

江戸時代には、枚方(現・枚方市)や守口(現・守口市)に宿駅が設けられ、物資や人が往来したといいます。

【大阪の旧街道】大阪から高野山への参拝道・高野街道

羽曳野の誉田八幡宮あたりの東高野街道

【大阪の旧街道】大阪から熊野三山へつながる熊野街道

熊野街道は摂津を南へ縦断し、熊野三山(和歌山県田辺市、新宮市、那智勝浦町)へ向かう街道です。平安時代中期から鎌倉時代にかけては、蟻(あり)の行列にたとえて「蟻の熊野詣」と呼ばれる光景が見られたそうです。

大阪府下の旧街道と現在の交通網を比べてみよう

大阪府下の旧街道と現在の交通網を比べてみよう
「大阪を歩こう」webサイトの図を元に作成 大阪の旧街道は奈良時代や平安時代につくられたものが多く、現在も府内に残っています。

府下を縦横断する旧街道はこのほかにもあります。律令時代や江戸時代の地図と現在の地図を見比べながら、当時の旅を想像するのも楽しいでしょう。

1 2

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関西 > 大阪府 >

この記事に関連するタグ