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【ヨーロッパの歴史】ゲルマン民族の大移動(紀元376年~)

ゲルマン人の大移動のポイント

ポイント1.ゲルマン人に侵入されたローマ帝国は大混乱に陥る
ポイント2.ローマ皇帝は帝国を東西に分割して乗り切ろうとした
ポイント3.西ローマ帝国はゲルマン王国の建設ラッシュに見舞われ滅亡

ゲルマン民族の大移動によってローマ帝国が分裂!

キリスト教の国教化がなされた頃、ローマ帝国はすでに衰退期に入っていました。それに追い討ちをかけたのがゲルマン人の帝国侵入でした。

ゲルマン人は長身、金髪、碧眼などの身体的特徴をもち、紀元前後にヨーロッパ北部から南下して農耕牧畜生活を営んでいました。そして376年、彼らはアジア系の遊牧民フン族の西進によって圧迫され、ローマ帝国に大挙して侵入してきたのです

この非常事態を乗り切るため、ローマ皇帝は395年に帝国を東西に分けます。しかし、ゲルマン人の侵入は止まらず、西ローマ側に移住。

やがて西ゴート王国東ゴート王国フランク王国などのゲルマン王国が次々と誕生し、西ローマ帝国は476年に滅亡しました。中世ヨーロッパはこうして幕を開けたのです。

地図の見方:ローマ帝国はゲルマン人の侵入により大混乱。皇帝は帝国領を東西に分割し、皇帝も二人制にすることで対処しようとしたが、西側の領地はゲルマン人に支配され、ついには滅亡してしまう

【ヨーロッパの歴史】カール大帝と西ローマ帝国の復活(800年)

カールの戴冠のポイント

ポイント1.ゲルマン王国のなかから、フランク王国が台頭
ポイント2.カール大帝の時代にフランク王国の最盛期が訪れる
ポイント3.カールの戴冠により、皇帝とローマ教皇の新たな関係がはじまる

フランク王国の台頭

西ローマ帝国の領内に建国されたゲルマン王国のうち、最も長続きしたのが481年に建国されたフランク王国です。

建国者のクローヴィスはカトリックに改宗して旧西ローマ市民の支持を獲得。8世紀、イスラーム勢力のウマイヤ朝が地中海を渡って西ヨーロッパに侵入してくると、カール・マルテルがこれを撃破し、ヨーロッパ・キリスト教圏の防衛に成功します。

これ以降、フランク王国はローマ教会と結びつきを深めていきました。

地図の見方:フランク王国の最盛期を築いたカール大帝が教皇から冠を授かったことで西ローマ帝国が復活。その領土が現在のドイツ・フランス・イタリアの元になった

カール大帝の戴冠により西ローマ帝国が復活

その後、フランク王国に最盛期をもたらしたカール大帝が登場し、800年にローマ教皇から西ローマ皇帝の称号を授かります(カールの戴冠)。これは西ローマ帝国の復活を意味し、西ローマ皇帝がキリスト教を保護するという宣言のようなものとなりました

カール大帝の死後、フランク王国は西・中・東の3つに分裂してしまいますが、それらが現在のフランス、イタリア、ドイツの原型になりました。

ここから、大帝は「ヨーロッパの父」と呼ばれるのです。

カール大帝の戴冠:その時日本は!?

平安遷都

794年、桓武天皇は仏教勢力や貴族の政治介入を一掃するため、平城京から平安京に遷都しました。これが平安時代のはじまりで、約400年間も続きました。

【ヨーロッパの歴史】ノルマン・コンクエスト~ノルマンの征服~(1066年)

ノルマン・コンクエストのポイント

ポイント1.ノルマン人「ヴァイキング」とも呼ばれていた人々のこと
ポイント2.ノルマン人はヨーロッパに進出し、次々に国を建てていった
ポイント3.ロシアやイギリスのルーツはノルマン人が建てた国

ノルマン人=「ヴァイキング」が動き出した!

9世紀、フランク王国が3つに分裂した頃、北欧のスカンジナビア半島やバルト海沿岸で漁労や狩猟生活を送っていたゲルマン人の一派ノルマン人が動きはじめます。

航海術に優れ、「ヴァイキング(入り江の民)」と呼ばれていた彼らは、ヨーロッパ各地に移動して定住し、自分たちの国を建てたのです。

地図の見方:ヴァンキングとも呼ばれるノルマン人は9〜11世紀、ヨーロッパ各地に進出して建国運動を展開。一大勢力圏を築き上げた

ノルマン・コンクエストによるノルマン朝樹立

862年、ノルマン人のルス(ルーシ)族は現在のロシア北西部にノヴゴロド国を建国。その後、南下してキエフ公国を建てます。

911年にはセーヌ川をさかのぼって北フランスに上陸したノルマン人がノルマンディー公国を建国。さらに1066年にはノルマンディー公ウィリアムがドーバー海峡を渡ってイギリスに上陸、ヘースティングスの戦いでイングランド王国を倒し、ノルマン朝を樹立しました。いわゆるノルマン・コンクエスト(ノルマン人による征服)です。

こうしてノルマン人は北方からヨーロッパ世界を席巻したのです。

ノルマン・コンクエスト:その時日本は!?

土地の私有が認められる

聖武天皇は743年に墾田永年私財法を公布します。これにより開墾した土地の私有が認められると、貴族や寺社が積極的に土地を開発しはじめ、荘園が誕生することになりました。

【ヨーロッパの歴史】十字軍の遠征でヨーロッパ経済が変化した(1096年)

十字軍遠征の開始のポイント

ポイント1.ギリシア正教のお膝元ビザンツ帝国がイスラーム勢力に圧迫される
ポイント2.約200年、計7回の十字軍遠征が行なわれたが失敗に終わる
ポイント3.十字軍遠征はヨーロッパ経済を大きく変えた

「エルサレム奪還」の名のもとに始まった十字軍遠征

1054年、キリスト教会がローマ教皇を首長とするカトリック教会と東方のギリシア正教会に分裂します。これにより東ローマ(ビザンツ)帝国の影響力は失墜。さらにイスラーム勢力のセルジューク朝に聖地イェルサレムを占領されるなど、ビザンツ帝国は未曾有の危機に瀕しました。

そこでビザンツ皇帝がローマ・カトリック教会に救援を要請すると、「イスラーム勢力からの聖地奪回」を名目に十字軍の派遣が決定。1096年から約200年、計7回の十字軍遠征が行なわれたのです。

地図の見方:十字軍は失敗に終わったが、ヨーロッパ経済を大きく変えることになった

十字軍遠征による「エルサレム奪還」は失敗したものの…

十字軍は最初の遠征で聖地を奪還しますが、1187年に奪い返され、結局、最後まで奪還することはできずじまい。教皇の権威も失墜しました。

しかし、十字軍遠征によって北イタリアとイスラーム商人の間で交流が盛んになり、東方貿易が活発化。また、ヨーロッパの南北で商業圏も発達し、都市間のネットワークが構築されます。十字軍遠征は経済面で思わぬ副産物をもたらしたのです。

十字軍遠征:その時日本は!?

院政がはじまる

平安時代中期、藤原氏が摂関政治で実権を握っていましたが、藤原道長・頼道の全盛期ののち、白河上皇が実権を掌握。それ以降、院政が展開されました。

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[本書の特長]
◎紹介する歴史項目全てに、イラストや写真を使ったわかりやすい地図を入れ、全体像が一目瞭然!
◎3つの要点で事件の概要が把握でき、歴史上の位置づけがしっかりわかる
◎歴史の一ページを形成した地理的背景、時間の経過がより一層理解できる解説
◎同時期の日本では何が起きていたか比較できるワンポイントコラム

『地図でスッと頭に入る世界史』見どころ―目次から抜粋

■紀元前221年、秦がバラバラの貨幣を統一したことで、歴史上はじめて〝ひとつの中国〞が実現した
■紀元前202年、中国を再統一した漢がシルクロードを開いた結果、東西交易が盛んになった
■208年、魏の曹操・蜀の劉備・呉の孫権の三者が死闘を繰り広げる『三国志』の時代が到来する
■618年、隋を引き継いだ唐が巧みな統治で周辺諸国を服従させ、国際色豊かな大帝国に発展
■1405年、周辺国の朝貢を求める明がヨーロッパより100年早く南海への大航海を展開する
■紀元前5世紀、アテネとスパルタの二大ポリスが戦争を繰り広げ、ギリシア世界は大きく変化
■紀元前334年~、アレクサンドロス大王の東方遠征で東西文化が融合したヘレニズム文化が生まれる
■紀元前27年、200年間にわたって続いたローマ帝国の最盛期は、30万キロの幹線道路が支えていた
■313年、イエスが説いたキリスト教がパウロの布教活動をきっかけに世界宗教へと飛躍した
■800年、ゲルマン人が建てたフランク王国のカール大帝が西ローマ帝国を復活させた
■1096年、計7回の十字軍遠征で当初の目的ははたせなかったが、ヨーロッパ経済が変化した
■14世紀、経済成長を背景にはじまった文化や思想の新しい動きがルネサンスの呼び水となる
■14世紀半ば、「黒死病」とも呼ばれるペストが猛威をふるい、欧州人口の30%以上が死亡
■16世紀、世俗にまみれて堕落・腐敗したローマ・カトリック教会に抵抗するプロテスタントが生まれる
■15世紀、大海原に漕ぎ出したヨーロッパの航海者たちが世界経済を大きく変えた
■16~18世紀、覇権争いを繰り広げるヨーロッパの強国が世界各地に植民地を築く
■紀元前8~4世紀、オリエント世界に興ったアッシリアとアケメネス朝ペルシアが世界帝国として君臨する
■紀元前500年頃、アジア各国で信仰され、世界宗教のひとつになっている仏教がインドで生まれる
■4~6世紀、インドで産声をあげ、民衆の間に浸透したヒンドゥー教が仏教を駆逐
■610年頃、アラビア半島のオアシス都市メッカでアッラーを唯一神とするイスラーム教が成立する
■661年、勢力拡大を続けるイスラーム教がカリフの暗殺をきっかけにスンナ派とシーア派に分裂
■16世紀、地中海の覇権を握り異教徒を効果的に使ってオスマン帝国が大帝国に成長
■18世紀、躍進するイギリスで現代の資本主義社会につながる産業革命が起こる
■1775年~、イギリスの植民地への重圧が植民地の人々を怒らせ、アメリカ独立戦争が勃発
■1789年、英仏戦争での財政悪化とブルボン王朝の贅沢三昧がフランス革命の火種となった
■1804年、フランス革命を引き継いだフランスの英雄ナポレオンが〝ヨーロッパ帝国〞を建設する
■1861年~、産業構造の違いが原因で北部と南部の対立が深まり、アメリカ南北戦争が勃発
■19世紀後半、「眠れる獅子」と呼ばれた清がアヘン戦争でイギリスに負け、列強のアジア進出が加速
■1917年、中東の権益を狙うイギリスが現在のパレスティナ紛争につながる3枚舌外交を展開する
■1929年、世界恐慌が起こり、ブロック経済とファシズムが生まれ、世界は再び戦争へ向かう

『地図でスッと頭に入る世界史』監修者

祝田秀全(いわたしゅうぜん)
東京出身。歴史学専攻。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、代々木ゼミナール講師を経て、現在北九州予備校東京校で東大世界史講師を務める。『銀の世界史』(筑摩書房)、『東大生が身につけている教養としての世界史』(河出書房新社)、『2時間でおさらいできる世界史』(大和書房)、『歴史が面白くなる東大のディープな世界史』(中経出版)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)など、多数の著書・監修書がある。趣味はコーヒー飲用。ジャマイカのあの山の中腹でとれるコーヒー豆を炒って飲んでみたい。それに古典落語鑑賞。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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