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江戸を補佐する地域ゆえに強大な藩は生まれなかった千葉県域 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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江戸を補佐する地域ゆえに強大な藩は生まれなかった千葉県域

江戸に近い千葉県域は、大都市・江戸を補佐する役割を担いました。
利根川東遷や干拓による新田開発が進められ、舟運の充実とともに産業も芽生えました。

千葉県域は江戸時代に徳川の支配地に

戦国時代の房総では、里見氏が相模・北条氏と抗争を続けました。そして1590(天正18)年、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし(小田原征伐)、里見氏を処罰して所領を安房一国に減封。上総国と下総国は、関東に入封してきた徳川家康の支配地となります。

徳川家康が関東入封時の上級家臣配置

徳川家康が関東入封時の上級家臣配置

関東に入った徳川家康は、安房の里見氏の力を封じるため、徳川四天王のひとりである本多忠勝を大多喜に配するなど、上級家臣を数多く房総に置きました(房総3国の範囲とともに現代地図にマッピング)。

千葉県域には強大な藩が誕生しなかった

徳川政権下では、江戸近郊の千葉県域に大大名が置かれることはありませんでした。房総半島でもっとも大きな藩は佐倉藩で、代々藩主を務めた堀田氏からは老中が多く出たため「老中の城」とも呼ばれましたが、その石高は11万石にとどまります。

数多くの小藩が林立し、さらに幕府直轄地(天領)や旗本領が入り乱れ、江戸時代を通じて房総半島に強大な藩はついに誕生しませんでした。

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