フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  関東 > 千葉県 >

佐倉牧・小金牧に鷹場東金!江戸幕府の直轄地地の利を生かした役割とは? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

この記事をシェアしよう!

佐倉牧・小金牧に鷹場東金!江戸幕府の直轄地地の利を生かした役割とは?

江戸時代に直轄地となった東金や下総台地(佐倉牧、小金牧)は、地の利を生かして、鷹場や放牧地といった自然を利用した役割を担っていきます。

東金鷹場は江戸幕府直轄地として建設された

江戸幕府は、大名配置に関しては「江戸近郊は直轄、遠隔地は外様大名」との方針を打ち出します。江戸から近い千葉県域には直轄領が多く、わけても特殊なのが東金(東金市)でした。家康の関東入府後、江戸から交通の便がよい東金に白羽の矢が立ち、幕府直轄の鷹場が置かれることになったのです。

東金鷹場の規模は10万石と広大で、敷地内には鷹狩りの拠点となる東金御殿が建設され、この御殿は部屋数が40以上もある豪華なものだったといいます。

東金鷹場で実施された徳川将軍の鷹狩り

1614(慶長19)年1月、家康が初めて東金の鷹場を訪れることになりましたが、それに先立ち、船橋から東金までの約37㎞を一直線に結ぶ街道が整備されました。これが「御成街道」です。そして、家康の最初の鷹狩りは、年寄・土井利勝(のち老中)を筆頭に、近習の士100人余が3隊に編成されて実施されました。

家康は計2回、2代将軍・秀忠は計11回も東金鷹場で遊猟したが、その後は徳川将軍の遊猟が途絶え、1671(寛文11)年、東金御殿は取り壊しとなりました。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関東 > 千葉県 >

この記事に関連するタグ