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勝鬨橋は幻の東京万博のために作られた!東洋一の可動橋の誕生と現在 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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勝鬨橋は幻の東京万博のために作られた!東洋一の可動橋の誕生と現在

昭和15(1940)年に完成した日本初の跳ね橋・勝鬨橋。
この歴史的建造物は、東京で開催されるはずだった幻の「万国博覧会」の今に残る痕跡です。

勝鬨橋が架設された当時の世相を知ろう

昭和39(1964)年の東京オリンピックに続き、2回目の開催となるはずだった2020年の東京五輪。実は、それ以前の昭和15(1940)年に、最初の「東京五輪」が開催されるはずでした。当時のIOC大会で第12回大会は東京と、実際に決定していたのです。

日本では、その年が神武(じんむ)天皇の即位から数える皇紀で二千六百年の節目にあたるため、数々の記念行事が計画されていました。そのひとつが第12回オリンピック東京大会であり、同時に東京で日本初の万国博覧会の開催も決められていました。しかし、昭和12(1937)年に盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が発生し、日中戦争が激化するなかで、この2つの国際イベントは中止を余儀なくされました。

幻の東京万博・五輪

昭和15(1940)年、本来ならアジア初となる「五輪」と「万国博覧会」が東京で開催される予定でした。この年は日本建国から2600年の節目にあたり、皇紀二千六百年記念の行事と位置づけられ、日本の躍進ぶりを国の内外に示す国家プロジェクトでした。五輪も夏季大会が東京市(現東京都区部)、冬季大会が札幌市で開催されることが決定していました。

しかし、日中戦争の激化などから、どちらも昭和13( 1938)年7月に中止が決まりました。当時は、万博の方が大きなイベントであり、予算規模は東京五輪の約3094万円に対し約4450万円でした。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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