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江戸幕府の基礎は徳川秀忠が築く

家康は慶長8(1603)年征夷大将軍となりましたが、わずか2年で退き、将軍職を2代目・秀忠に譲りました。このことは、将軍職が世襲であることを世に知らしめることになりました。家康は駿府城に隠居しましたが、実権は握りました。

そして、秀忠は15代続く徳川幕府の基礎を作りあげた人物として評価されています。少なくとも、江戸の町づくり、幕府の基礎固めにおいては、家康の構想を忠実に守り、実行しています。秀忠は徳川幕府の体制づくりでは大きな役割を果たしました。

江戸幕府の体制確立にも腐心しさまざまな統制を図った秀忠

大坂の役の後、元和2(1616)年、家康は75歳で逝去しましたが、家康が描いていた政策は秀忠が着実に実行していきます。江戸城の築造についても、諸大名に工事を担当させ、五重の天守を建造、石垣の修築も行われました。慶長15(1610)年から同16年にかけては大御所家康の居館である西の丸の修築工事が行われました。

江戸幕府の体制確立①:徳川御三家の制定

家康の政策を引き継ぎながら、江戸幕府の体制確立にも腐心し、尾張・水戸・紀伊の徳川御三家を定めました。これは、将軍家の補佐をさせるためでもありますが、将軍家に跡継ぎができなかったときの保険でもありました。実際、長い徳川政権を振り返るとき、御三家制度が効果をあげたことは歴史が証明しています。

江戸幕府の体制確立②:大名の改易と朝廷との結びつき

大名の力をそぐことにも着手し、秀忠が改易した大名は外様23家、親藩・譜代16家に及んでいます。すべて、徳川家に有利になるように書き替えました。さらに「禁中並公家諸法度」「寺社法度」を定め、朝廷や寺社の統制をはかりました。

一方では、朝廷との結びつきを強めるため、娘の和子を後水尾(ごみずのお)天皇に入内させ、天皇の外戚の地位も手に入れています。

江戸幕府に刃向かう者は許さなかった徳川秀忠の生涯

元和9(1623)年、嫡男・家光に将軍職を譲り、秀忠は隠居しました。54歳の生涯でしたが、「幕府に刃向かう者は、誰でも容赦しない」という強い姿勢を貫き、為政者としては凄腕だったと評価されています。

江戸幕府の施策のひとつ「大奥」はなぜできたのか

大奥は将軍の正室や側室、奥女中たちが暮らした、男子禁制の女の園。外界と隔絶され閉鎖的な場所になったのは、2代将軍・秀忠の時代からです。当初の大奥は将軍と家族が生活する私的な場所で、表との境はありませんでした。

秀忠が「大奥法度」を制定し、表、中奥、大奥の3つに分けて役割を定めました。表は幕府の中枢で政務を執り行います。中奥は将軍が日常生活を送る場所で側近が出入りしました。大奥は跡継ぎを生み育てる場所となりました。

3代将軍・家光の乳母だった春日局が大奥で絶大な力を誇示して取り仕切るようになり、閉ざされた大奥の世界がつくられていきました。

江戸幕府:徳川家光の時代で多くの重要な政策を推し進めた

3代将軍・家光は、戦国時代を知らない初めての将軍です。しかし、長期政権となる徳川幕府にとって重要な政策の参勤交代や鎖国政策を推し進めた将軍として広く知られており、江戸城の工事は家光の時代に完成しました。工事は、御三家から一門、譜代、外様の諸大名に旗本まで加えた、役高300万石に達する大規模なものでした。

寛永12(1635)年には二の丸を拡張して三の丸をせばめ、城の西北部の外郭を強化するため、牛込、市谷、四谷、赤坂、溜池にいたる堀を開墾し、江戸城の外堀は城を中心として右渦巻状に一周することになりました。

こうして江戸の町づくりは完成していきました。その結果、大名屋敷、老中・若年寄などの幕府重役、町屋、職人町が形成されました。寛永年間(1624~1645年)には町数が300町に達しています。寺社は江戸城の築城とともに周辺部へ移転、寺町がつくられました。

江戸幕府の代表的施策:参勤交代制度

家光は参勤交代の制度を確立させた将軍でもあります。秀忠の時代に、大名はある程度定 期的な江戸への参勤はありましたが、家光は、大名に毎年江戸に参府することを命じました。徳川御三家を含む1万石以上のすべての大名が対象で、大名たちは、1年を江戸、1年を自国で過ごすことに。

参勤交代は大名と、1万石以下の一部の旗本から経済力を取り上げる政策だといわれ、実際、大名の負担は大きかったのですが、一方で江戸の文化や上方の文化を道中の地方都市に、また地方の文化を江戸や上方にもたらした功績も大きいといわれます。

江戸幕府の基礎は徳川家康・秀忠・家光の3代にわたって確立された

このほか、徳川政権は日本独自の貨幣制度を確立しました。家康は鉱山直轄により貨幣の鋳 造権を独占し、三貨制度と呼ばれる、金銀銅による独自の制度を採用しています。

徳川265年に及ぶ長期政権の基礎は、家康、秀忠、家光の3代でほぼ完成されたといえます。

徳川幕府 歴代将軍プロフィール

265年という、とてつもなく長い期間日本政治を動かした徳川幕府。15人の将軍はどんな人物だったのでしょうか。

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