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秩父事件を誘発した深刻な不況

時代的な背景としては、当時の深刻なデフレ不況が挙げられます。西南戦争(1877年)の戦費調達で発生したインフレを解消するため、1881(明治14)年に大蔵卿(おおくらきょう)に就任した松方正義(まつかたまさよし)は、デフレ誘導の緊縮財政策を打ち出します。しかし、この松方財政は生糸や米などの価格の下落を招き、日本中の農村に深刻な窮乏を引き起こしました。これが「松方デフレ」と呼ばれる不況です。

対して、この頃の秩父地方は養蚕業に依存していたため、不況の影響が直撃。秩父の農民たちは銀行や高利貸しに多大な負債を負い、生活は困窮をきわめました。

秩父事件の発端は秩父困民党の結成

この状況を打開するため、1883(明治16)年の末頃から秩父・児玉・大里地方の農民のあいだに自由党員を中核とする「秩父困民党」が結成され、負債の延期を求める行動を開始しました。

秩父困民党の主訴

秩父困民党は、①借金の10年据え置きおよび40カ年の年賦での返済②学費軽減のため学校を3年間休校③課税の減免④村費の減少といった要求を掲げ、高岸善吉ら自由党員が代表者となって郡役所や高利貸しに対し直談判を行いましたが、彼らの訴えは聞き入れられることはありませんでした。このため、秩父困民党は先鋭化していき、大宮郷(おおみやごう)(秩父市)の俠客・田代栄助(たしろえいすけ)を迎え入れ、実力行使へと舵を切っていったのです。

秩父事件は暴徒化した秩父困民党が起こす

蜂起は、1884(明治17)年11月1日を予定し、秩父郡内の村のみならず長野や群馬県内の村にも檄を飛ばしました。10月31日の深夜には早くも風布(ふうぷ)村が高利貸しへの襲撃を開始。11月1日には椋神社(むくじんじゃ)(秩父市下吉田)に約3000人が集結して決起集会が行われ、田代栄助が総理に、加藤織平(かとうおりへい)が副総理となって軍事組織を指揮することになりました。

蜂起した武装集団は、高利貸しや役場を襲いながら、近在の農民たちになかば強制的に合流を促し、肥大化していきました。小鹿野の警察分署を襲撃したのち、翌2日には大宮郷へと進入。警察署や裁判所を破壊し、郡役所を本部に定め、秩父郡内を制圧。さらに高利貸しへの襲撃を繰り返しました。

秩父事件は暴徒化した秩父困民党が起こす

蜂起当時3000人もの群衆が集まって決起集会が行われた椋神社

椋神社

住所
埼玉県秩父市下吉田7377-1
交通
西武秩父線西武秩父駅から西武観光バス吉田元気村行きで41分、龍勢会館前下車、徒歩12分
料金
情報なし

秩父事件を鎮圧した明治政府

事態を憂慮した明治政府は、4日には東京鎮台兵一個大隊と憲兵隊三個小隊を派遣し、秩父へ至る道路を封鎖しました。

軍隊と警官隊に包囲された秩父困民党は銃撃戦などを繰り広げましたが、指導者的な立場の幹部が離脱して事実上崩壊。一部の急進派はなおも残存勢力を率いて群馬から長野へと至り、長野県南佐久郡東馬流(ひがしまながし)(小海町(こうみまち))で鎮台兵と交戦し、やがて鎮圧されました。一連の戦闘では両陣営合わせて20名以上が死亡しました。

秩父事件の関係図

秩父事件の関係図
『図説 埼玉県の歴史』(河出書房新社、1992年)ほか各種資料を元に作成

1884(明治17)年11月1日、秩父困民党員は椋神社(下吉田村)に集結。この決起集会で、軍事組織をつくるとともに蜂起しました。翌日には小鹿野から大宮郷(現・秩父市)へ進入し各所を破壊、本営を郡役所に置きました。

困民党は各地で警察や軍隊と衝突しましたが5日に敗北、本隊は解散します。一隊は十石峠をこえて信州へ転戦しましたが、9日の東馬流の戦闘で壊滅しました。

秩父事件は単なる暴動ではなかった

秩父事件への参加者は、最終的に1万人を超えていたともいわれており、調書に名を残した人だけでも秩父3339人、秩父以外の郡42人、群馬県235人、長野県570人と合計4186人が記録されています。

有罪判決を受けたのは3000人を超え、田代栄助や加藤織平ら指導者たちは捕縛されて死刑に処せられました。

この秩父事件は、当初は「暴動」として処理されましたが、研究の進んだ現在では自由民権運動の影響下で起きた激化事件と位置づけられています。

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