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宇都宮藩の幕末における苦悩~天皇陵特定が宇都宮藩の窮地を救った?~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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宇都宮藩の幕末における苦悩~天皇陵特定が宇都宮藩の窮地を救った?~

幕末の頃、下野最大の譜代藩であった宇都宮藩は国替えの窮地に立たされていました。それを救ったのは意外にも、天皇・皇后の墓である「山稜」の修理・保全でした。

宇都宮藩は100年に渡り藩主が次々と交代した過去を持つ

16世紀末、400年22代にわたって宇都宮を治めてきた宇都宮氏は、豊臣秀吉により改易されます。以来、宇都宮はおよそ100年間、蒲生(がもう)、本多、松平、再び本多、阿部と藩主が次々に交代。1710(宝永(ほうえい)7)年、越後国高田から戸田忠真(ただざね)が移封され宇都宮藩主となりました。その後戸田家は1749(寛延2)年に一時的に肥前島原藩に転封となりますが、25年後の1774(安永3)年、再び宇都宮に戻されます。以来、明治維新まで、戸田家がこの地を治めることとなりました。

徳川幕府による支配がペリー来航によってほころび始める

一方、19世紀も後半になると、徳川幕府による支配は、少しずつほころびを見せ始めてきます。ペリー来航による開国をきっかけに、幕府による尊王攘夷派武士の弾圧である安政の大獄、それに対するカウンターとしての桜田門外の変などの政変が続き、日本国内は佐幕か倒幕かで大いに揺れました。

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