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「カルバート」とは伏越樋(ふせこしひ)のこと

江戸時代までは田川も2つの川と合流して琵琶湖へ流れていましたが、田川流域では当時から水害に悩まされていました。

なぜなら、この3つの川は豪雪地域から流れているため雪解け水で水位が上昇します。姉川や高時川に比べ規模が小さく勾配が緩い田川は、水かさが増すと自力で排水ができず逆流していたのでした。

江戸時代末期、当時の彦根藩主井伊直弼(いいなおすけ)が策を施しますが効果はあまりありませんでした。そこで甚大な被害に遭っていた虎姫地区の4か村が、美濃国(現岐阜県)などで治水の技術を学び、逆流防止のため水門を設置。田川を分水して高時川の下を伏越樋(ふせこしひ)で通し、新川を設ける計画を立てます。この伏越樋が、いわゆる「カルバート」です

幕府の大老であった井伊の後押しもあり、1862年に完成したカルバート。しかしその喜びもつかの間、木製ゆえ腐朽が激しく、さらに姉川や高時川の水流が上昇したことから、また逆流するようになってしまいました。

カルバートはヨハネス・デ・レーケによって改修され水害は激減

明治時代になり、下流住民が説得と政府への請願を何度も行ない、具体的な調査が進みます。そのときに呼ばれたのがオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケでした。デ・レーケはレンガと石積みによる2本のアーチ型のカルバートをつくり、同時に下流の川幅を広げるという計画を提案。これが川と川が立体交差する現在の田川カルバートの原型となります。カルバートの完成によって、水害は以前とは比べものにならないほどに激減しました。

その後、カルバートの改修はくり返され、1966年には現在の鉄筋コンクリート製の「ボックスカルバート」になります。

幾度となく続けられてきた田川の治水工事。幕末の工事の際には、無事を願う目的で祠(ほこら)がつくられています。それが今の水引神社(みずひきじんじゃ)であり、住民たちの必死の思いでこの地域が守られてきたことの証となっているのです。

豪雪地帯から流れてくる3つの河川が氾濫をくり返したため、川の上を川が通るという仕組みを作り出した。
国土地理院標準地図、空中写真を元に作成

田川カルバートだけじゃない!大津に残るデ・レーケの砂防ダム

田川カルバートの産みの親であるデ・レーケは、大津市にも足跡を残しています。大津市上田上にある「オランダ堰堤」です。堰堤とはダムのことをいいますが、このダムが止めているのは水ではなく砂です。1873年に来日したデ・レーケは、明治政府に砂防工事の重要性を伝えました。上田上の周辺の山々はもろく崩れやすい花崗岩を多く含むため、大雨になると土砂が流れ出し、下流にまで被害をもたらしていたのです。そこで1889年にデ・レーケの指導のもとで割石積堰堤がつくられます。このダムによって下流の地域は土砂から守られたのでした。

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Part.1 地図で読み解く滋賀の大地

・近江はいつから始まった?近江と呼ばれるワケ
・近江盆地の地形と気候/琵琶湖はいつできた?
・「琵琶湖八景」と「近江八景」の違い/琵琶湖に浮かぶ四つの島々
・琵琶湖に流れ込む川は約450本もあった!
・京都を復活させた琵琶湖疎水
・琵琶湖以外にも湖、あります。湖だけじゃない滋賀を囲む山々
・滋賀県の温泉
・「津」がつく地名が多いのははぜ?
・「両側町」という形をとり「大津百町」と呼ばれた
・京都・三重・岐阜・福井と隣接する三県境

Part.2 滋賀を駆ける充実の交通網

・「瀬田の唐橋を制するものは天下を制す」ともいわれた軍事と交通の要
・「道の国」とも呼ばれた近江のさまざまな街道と宿場
・鉄道や国道が「草津川」の下をくぐる必要不可欠なトンネル
・琵琶湖上をかける外輪船、初めて浮かんだのは「一番丸」
・揖斐川と琵琶湖をつなぎ1トン級の船舶を通す「日本横断運河計画」とは?
・「夢のかけ橋」と呼ばれた琵琶湖大橋
・私鉄開業ブームで伸びる私鉄網
・時速130キロメートルで運行される「湖西線」
・観光と輸送の主要駅である「米原駅」と「草津駅」

Part.3 滋賀の歴史を深読み!

・遺跡から見る古代の近江のすがた
・滋賀県は首都だった。天智天皇が遷都した近江大津宮と紫香楽宮
・日本の仏教史において重要な「近江」、天台宗は比叡山で開かれ都道府県別寺院1位!
・自治組織としての「惣」と「近江商人」、伊藤忠兵衛の活躍
・種子島から国友に伝えたとされる火縄銃
・戦国の二大決戦「姉川の戦い」「賤ヶ岳の戦い」
・滋賀県の城と武将たち
・歩兵連隊が所在し「軍都」と呼ばれた近江の戦争遺産

Part.4 滋賀で育まれた産業や文化

・近江にもたらされ、広まった土器の技術
・彦根藩の特産となった「浜縮緬」と生産量世界1位の「レーヨン」
・大企業が進出、工業団地がたくさんあります
・近江神社いろいろ、「祭り」もいろいろ
・1万年前から続く「湖の幸」と外来種の襲来
・外国人が造ったレンガ造りの田川カルバート
・天候と土地の広さから競馬と密な関係にある滋賀県
・青土のダム穴
・「鳥人間コンテスト」はなぜ始まったのか?
・スポーツが盛んな滋賀県
・大型ショッピングモールが完成、敷地のほとんどが駐車場

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