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常磐橋は近代化のシンボル

常磐橋は明治10(1877)年に木橋から架け替えられて石橋へ。新政府は文明開化のシンボルとして、都心部に13橋の石造アーチ橋を架けました。その唯一の生き残りが常磐橋であり、都内に残る石橋としても庭園にあるものを除き、もっとも古いものといわれています
橋に使われた石は、備前岡山藩主・池田光政らによって築かれた江戸城・小石川門の石垣を再利用。造り自体は和式の石造アーチになりますが、大理石製の親柱のデザインは洋風で、他に類を見ない和洋折衷のたたずまいでした。江戸から明治への近代都市化の象徴だったのです。

常盤橋はどのように「近代的」だったのか

明治初期、文明開化によって木造から近代的な石橋へ改架された常磐橋。調査結果によると、路面は歩道が明確に分離され、両脇の歩道には安山岩(伊豆石)が使用され、中央の車道には花崗岩(白御影石)が斜めに敷き詰められていたと想定されています。
河岸橋台の築石面は、方形の石材を密着させながら組む技法「切り込みはぎ」などでていねいに積み上げ、曲線を描く繊細な意匠は美しいものでした。なお、幕末の頃に熊本県や鹿児島県にはすでに多くの石造アーチが架橋されていたため、現地の石工集団が関東の石工職人に架橋技術を伝え、都心部の橋は造られていました。

常磐橋の2度の大震災での被害と復興

しかし、堅牢な橋も大正12(1923)年の関東大震災には勝つことはできませんでした。常磐橋は被災し、大きなダメージを受けたのち、長い間修理されずに放置されてしまいます。さらに撤去される危機もありましたが、ある人物のおかげで昭和9(1934)年に修復工事が実施されました。

その復興事業に尽力したのが、新1万円札の肖像や大河ドラマで“時の人”となった実業家・渋沢栄一です。震災当時83歳だった渋沢は、震災救護や復興事業を積極的に進め、多額の寄付により、常磐橋一帯の復興も遂げます。残念ながら、渋沢自身は昭和6(1931)年に逝去したため、修復後の橋を見ることができませんでした。それでもその功績を称え、復興事業の一環として開園した、橋に隣接する常盤橋公園内に、渋沢栄一像が建てられたのでした。

常盤橋の東日本大震災での被害と復興

時代は飛んで平成へ。2011年、東日本大震災により2度目の被害に遭います。地震により橋の積石が歪み、崩落の危険が生じたため、常磐橋がある千代田区は修復工事を行うことになります。国指定文化財の再生は機能性・安全性の向上だけでなく、その復元や文化的価値の保全も必要なため、工事は難航を極めました。

当初、2018年の完成予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響による作業中止なども重なり、大幅に遅れて修復工事を終え、震災から10年後の2021年5月より、通行が再開されました。ふたつの美しいアーチが特徴の石橋は、木造だった江戸時代から明治、大正……と無数の人が行き交いました。令和の今、昔の橋からの眺めを想像しながら常磐橋を渡ってみたいものです。

現在の常盤橋は、明治期のものを復元

東日本大震災で被害を受けた後に修復された常磐橋。修理するなかで遺構がみつかり、初めて発掘調査を行っています。
明治期に架けられた橋についても、捨土台や胴木、松杭などが多数発見され、橋を架ける当時の技術の高さを知ることができたといいます。また、ただ修理するだけでなく、古写真や資料などを頼りに、明治期の姿をできるだけ復元してあります。いち早く取り入れられた歩車道分離帯の路面や、唐草のような手摺柵など、デザインとして橋の歴史を体感できるのがポイントです。橋を訪れて渡る際には、両岸からの眺めを堪能してはいかがでしょうか。

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■第1章 地形から読み解くあなたの知らない東京

・最強の城・江戸城はこうして完成した/姿を消した渋谷川が再び川として蘇る
・九品仏川は矢沢川に乗っ取られた?
・標高たったの26m!? 家康ゆかりの愛宕山
・23区内にある低山は江戸時代に増えた!?
・品川台場のために切り崩された御殿山
・日本初の上水・神田上水から玉川上水へ
・東京市の水源確保のため多摩湖に沈んだ村
・八王子と町田の境界にある戦車道路とは?

■第2章 東京の知られざる鉄道・交通網

・高輪築堤出土!品川海上を走った鉄道
・新宿ゴールデン街を都電が走った!
・荒川放水路建設でねじ曲げられた東武線
・かつて山手線はチョコレート色だった!
・知られざる東京都港湾局専用線
・江戸川を走っていたマッチ箱電車とは?
・実働わずか8か月 国鉄武蔵野競技場線
・奥多摩駅のさらに奥に東京都専用の鉄道があった
・渋谷上空にロープウェイ!ひばり号とは?
・道として使われた川-江戸時代の舟運
・本土と伊豆諸島を繋ぐ東海汽船

■第3章 東京が誇る建造物・名建築をめぐる

・高級住宅地・世田谷に200年前栄えた城があった
・江戸幕府を支えた大名屋敷のいま
・大名庭園は金食い虫だった!?
・築地本願寺は海の上に建てられた
・阿吽の武士像が鎮座する迎賓館赤坂離宮
・明治・大正ロマンを感じる西洋建築
・都内最古の石橋・常磐橋
・まるで橋の博物館!隅田川橋梁群

■第5章 東京ゆかりの人物が愛した東京の街

・90年で引っ越し90回以上!葛飾北斎とすみだ
・正岡子規と文人の集う根岸の里
・飛鳥山に居を構えた渋沢栄一
・東急グループを作り上げた鉄道王・五島慶太
・西部王国を築いた堤康次郎と国立学園都市
・夏目漱石-『三四郎』が誕生した早稲田
・森鴎外が愛した千駄木
・青年期までの芥川龍之介を育んだ両国
・向島のラビラント-私娼窟・玉の井と永井荷風
・太宰治が好んだ三鷹の跨線橋も見納め?
・多くの文士・芸術家が集まった馬込文士村

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