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都電荒川線の歴史~鍵は都電らしからぬ特徴?!唯一存続した理由とは?~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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都電荒川線の歴史~鍵は都電らしからぬ特徴?!唯一存続した理由とは?~

一時期は都民の重要な移動手段であった都電。今は荒川線だけとなっています。
消えてしまったほかの路線にはない、荒川線が生き延びた理由とは。

都電荒川線から知る東京都における路面電車の歴史

かつて都内を縦横無尽に結んで走行した路面電車の都電は、生活に欠かせない「都民の足」として活躍していました。戦時中の昭和18(1943)年に東京都制が施行されて「市電」から「都電」に改称されたあたりにその最盛期を迎え、全41系統、総延長213kmの路線で東京駅周辺や銀座、浅草なども走り、1日の平均乗車人数は193万人にも上りました。

路面電車は交通トラブル発生の元凶!?

都電の黄金時代にかげりが見え始めたのは、1950年代後半。日本の高度経済成長による急速なモータリゼーションの進展が起こり、都内の自動車が急増すると、都の公安委員会は「(専用軌道を独占する)都電は自動車の交通渋滞を引き起こす元凶」と認定しました。

さらに、昭和34(1959)年には、それまで禁じていた自動車の都電軌道敷内への進入規制を解除。路面線路の上を自動車が走ってよいルールに変わったとたん、都電の運行が自動車によって妨げられるトラブルが多発しました。

ダイヤ通りに走れなくなったどころか、日本橋から銀座の約1.5kmの距離を走行するのに1時間近くかかる状況に。「それなら歩いた方が早い」とばかりに、都電の利用者は激減し、その結果、経営状態は赤字に転落。

昭和42(1967)年に都交通局が財政再建団体の指定を受けたのを機に、経営再建の過程で昭和47(1972)年までに181kmもの路線が廃止に追い込まれてしまいました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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