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赤穂浪士による吉良上野介討伐!~47人の元家来たちによる仇討ち!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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赤穂浪士による吉良上野介討伐!~47人の元家来たちによる仇討ち!

忠臣蔵として語られる大石内蔵助ら赤穂浪士の討ち入り。
300年以上も前の出来事ですが、義理を重んじる日本人の美談として語り継がれてきました。

赤穂浪士討ち入りのきっかけ①:吉良上野介を切りつけた浅野内匠頭

元禄14(1701)年は5代将軍・綱吉の時代、江戸城に朝廷からの使者を迎える担当・接待に命じられたのは、指南役の高家吉良上野介(こうけきらこうずけのすけ)と赤穂藩主浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)でした。

同年3月14日、将軍・綱吉が朝廷からの使者に勅答する日、江戸城の松の廊下にて、浅野内匠頭は、吉良上野介に突然背後から斬りかかり、振り向いた吉良上野介の額を斬りつけました。

江戸城内での刃傷沙汰はもちろんご法度、浅野内匠頭が接待役であったことから、綱吉は激怒。喧嘩両成敗の不文律を破り、浅野内匠頭に即日の切腹を申しつけました。

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