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井伊直弼による安政の大獄が誘発した桜田門外の変

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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井伊直弼による安政の大獄が誘発した桜田門外の変

幕府は開国を迫るアメリカに押し切られるように和親条約を結びます。
反発した攘夷派を井伊直弼が処分したのが安政の大獄、そして桜田門外の変につながります。

安政の大獄以前の時代背景

外国との交易を限定的にしていた鎖国政策の幕府にとり、外国船が東京湾に入港したことは衝撃的な出来事でした。東京湾の入口にある浦賀は、陸の箱根関所に匹敵する海の関所的なところで、江戸に匹敵する物資の集積地でした。

その浦賀に天保8(1837)年、米国船モリソン号が、そして嘉永6(1853)年、米国からペリーが浦賀に入港し、ペリーは大統領の親書を持参していました。通商条約を締結したいので、翌年に返事を聞くという約束をして日本を離れました。

1年後に来ることに幕府は動揺、いざというときのために東京湾品川沖に海上砲台を築きました。砲台は11台設置する計画のうち6台を完成するのが精いっぱいでした。現在、お台場といわれているのはこのとき造られたものです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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