フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  関東 > 東京都 >

勝海舟のサンフランシスコ渡航

転機となったのが、嘉永6(1853)年のペリーやプチャーチンの来航。勝は、身分を問わない有能な人材の登用や台場の建造などについて記した「海防意見書」を幕府に提出しました。 これが老中の阿部正弘ら幕府幹部の目に留まり、33歳で念願の役付きに抜擢。安政2(1855) 年、長崎海軍伝習所に派遣されます。

万延元(1860)年、38歳のときに日本初の太平洋横断に臨む咸臨丸(かんりんまる)に、軍艦操練所教授方頭取として乗船。船の指揮を取り、サンフランシスコに渡りました。

勝海舟の帰国後の活躍と辞職願

帰国後は軍艦奉行に就任し神戸海軍操練所の創設に取り組むとともに、海軍人材育成のための私塾も開設。諸藩の藩士や坂本龍馬ら脱藩浪士を門下生に迎えます。これ以前、勝から世界の情勢などを教わった坂本は、その見識の広さに驚き、家族への手紙で「日本第一の人物」と紹介していました。

慶応2(1866)年の第二次長州戦争では、幕府の使者として広島県宮島で長州藩の代表者との停戦交渉に臨みました。幕府が不利な状況でなんとか交渉をまとめようと尽力しますが、幕府は並行して朝廷にも働きかけており、停戦の勅許を引き出します。

苦労を台無しにされた勝は、これに憤慨。辞職願を出して江戸に帰ってしまいます。辞職願は受理されず幕府に残るものの、しばらく政治の中枢からは遠ざかることになりました。

勝海舟と西郷隆盛の関係

再び重役を担ったのは、慶応4(1868)年の戊辰戦争。新政府軍の参謀である西郷隆盛と数度の交渉の末、江戸無血開城にこぎつけます。勝と西郷は、実はこのときが初対面ではなかったのです。

元治元(1864)年の第一次長州戦争時に、西郷が勝に面会を申し入れ会談。勝は西郷に有力諸藩による共和政治を訴えます。西郷は感銘を受け、大久保利通宛の手紙で「実に驚き入り候人物」「ひどく惚れ申し候」と絶賛しました。

勝も西郷を高く評価し、維新後に逆臣となった西郷の名誉回復に奔走。「南州留魂詩碑」という西郷追悼の石碑を、自費で建立します。その裏に彫られたのが、次の一文。

「嗚呼、君能く我を知る、而して君を知る、亦我に若くは莫し」

洗足池周辺には、勝夫妻の墓地以外にも、勝ゆかりの地が点在する

勝の西郷への思いが刻まれた南州留魂詩碑は、当初現在の葛飾区に建てられましたが、のちに洗足池畔(大田区)へ移転し、現在は勝夫妻の墓所に隣接しています。

洗足池公園

住所
東京都大田区南千束2丁目
交通
東急池上線洗足池駅からすぐ
料金
スワンボート(30分)=800円/

勝海舟の波乱の人生を象徴する最後の言葉

勝は、坂本や西郷ら維新の功労者から信頼を集めた一方で、旧幕臣の評判は悪かったのです。 江戸城内で圧倒的だった主戦論を抑え込んで無血開城し、後には明治政府より伯爵の位を受けたため批判も受けました。後年の福沢諭吉の批判に対して勝は「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」と応じ、意に介しませんでした。

その後、徳川慶喜の名誉回復を成し遂げた翌年の明治32(1899)年、77年の生涯の最後に残した言葉が「これでおしまい」。江戸っ子らしい勝の潔さを伝える名言として、今に語り継がれています。

勝海舟の印章コレクション

勝は、自分の書作などに多彩な印章を使用しました。さまざまな形と銘文の印影はもちろん、持ち手部分に虎や鹿、龍、獅子などが施されデザイン性にも富んでいます。木製や石製、金属製といった素材の違いもあり、これらの印章からは、勝の好みの意匠や趣向がうかがえます。

勝ゆかりの芸術作品とも呼べるこれらの印章から、勝の豊かな感性に触れることができるでしょう。

『東京のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から東京都を分析!

日本の各県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。東京の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

【見どころ】 Part.1 地図で読み解く東京の大地

・「低地」の下町と「台地」の山の手、 2つの地形で成り立つ東京
・多摩川によって作られた? 東京に広がる武蔵野台地
・昭島市はかつて海だった!? アキシマクジラ発見の衝撃
・御神火が生んだ島々、伊豆諸島の誕生と火山の関係
・実は立川市内にはない? 東京の活断層「立川断層」とは?
・玉川兄弟が江戸まで引いた ! 標高差わずか92mの玉川上水
・23区内は坂だらけ? 900以上の名前を持つ坂がある
・凸凹を考えて見てみるとおもしろい! スリバチ状の地形が点在する東京
・渋谷は谷が密集してできた街だった
・千鳥ヶ淵はダムだった !?
・荒川と隅田川に囲まれた低地はなぜできたのか? 海抜ゼロメートル地帯江東デルタ
・“荒ぶる川”荒川の流路付け替え
・地下の大宮殿!? 日原鍾乳洞
・火山活動で誕生した島々の進化の歴史 、小笠原諸島の成り立ち
…etc.

【見どころ】Part.2 東京を駆け抜ける鉄道網・交通網

・海の中を走る鉄道だった!? 日本初の鉄道が新橋~横浜で開通
・馬車鉄道から始まった東京の都市交通機関、60年にわたる路面電車の活躍
・日本の発展を支えた100年。帝都の玄関口、東京駅開業
・関東大震災以降、東京は郊外へと拡がった。田園調布の開発と私鉄の発展
・地下鉄は銀座線から始まった/東京地下迷宮! 幻のホームとは!?
・64年東京五輪のレガシー “夢の超特急”東海道新幹線開通!
・都電荒川線が唯一存続した理由
・新宿駅がビッグターミナルになるまで
・高尾山ケーブルカーは日本一の急勾配!?
・五街道の起点となった日本橋
・勝鬨橋は幻の万博のために作られた
・首都高速の誕生と未来/東京の交通網の未来予想図
…etc.

【見どころ】Part.3 東京で動いた歴史の瞬間

・天之手力雄命と菅原道真公を祀る 古代に創建された湯島天満宮
・片田舎の武蔵野は関東随一の大国だった
・文武両道の才人、太田道灌が江戸城を築城
・八王子城の落城と戦国時代の終焉
・江戸幕府開府と家光で完成した大都市
・迫られる外交方針 ! 徳川家光が定めた「鎖国」体制
・江戸を襲った明暦の大火
・江戸を恐怖の底に陥れた安政の大地震
・徳川慶喜の思惑が外れた大政奉還
・中央集権国家の誕生へ ! 東京の誕生と廃藩置県
・大久保利通暗殺、紀尾井坂の変
・江戸本所生まれ、郷土の偉人 勝海舟の波乱の人生を追う
・関東大震災 被害と復興
・“玉砕の島”硫黄島の悲劇
・条件降伏と玉音放送
・東京裁判とスガモプリズン
・敗戦から19年目の東京五輪
・学生たちは何を求めて闘ったのか? 東大紛争と安田講堂事件
・三島由紀夫、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決
…etc.

【見どころ】Part.4 東京で生まれた産業・文化

・吉原遊廓は文化サロンの一面も!?
・大衆文化の頂点に立った江戸歌舞伎
・開国要求への抵抗!「お台場」の由来は幕末にあった
・西洋スタイルの銀座煉瓦街が誕生
・日本初の第一国立銀行は日本橋で誕生した
・一丁倫敦と呼ばれた丸の内 職人が手作業で組み立てた東京タワー
・神田から始まった日本の近代下水道モデル
・都営白鬚東アパートは巨大防火壁だった!
…etc.

『東京のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関東 > 東京都 >

この記事に関連するタグ