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玉川上水はどのようにしてつくられた?~玉川兄弟が江戸まで引いた標高差わずか92mの上水道~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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玉川上水はどのようにしてつくられた?~玉川兄弟が江戸まで引いた標高差わずか92mの上水道~

人口増加とともに増設が必須となった江戸の上水道。
43kmをわずか約8か月の短期工事で完成した玉川上水の工事成功の裏には何があったのでしょうか。

玉川上水ができるきっかけ

徳川家康は江戸に入府すると、家臣に水道の見立てを命じました。まずは小石川大池に水源を求め、以後、井の頭池、善福寺池、妙正寺池(みょうしょうじいけ)などの湧水を水源とする神田上水が完成します。

江戸の南西部は赤坂溜池を水源としましたが、慶長14(1609)年頃の人口は約15万人、さらに参勤交代制度の確立により、大名やその家族、家臣が江戸に住むようになり人口は急増。享保(1716~1736)年間の人口は町人約53万人、武士約49万人、その他約3万人と100万都市になり、新しい水道の開発が急務となっていました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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