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常南電気鉄道の成り立ち

戦争中は霞ヶ浦海軍航空隊の所在地で、いわゆる予科練発祥の地として知られる阿見村(現・阿見町)と県南の中心地、土浦を結ぶために建設された阿見線は、1926(大正15)年に根崎(のちに桜川と改称)〜阿見間4.1㎞が軌道法により開業し、電車運転が始まります。開業に合わせて5両の電動客車、2両の付随客車を新製しています。それらは蒲田車両製の4輪単車で、電動客車の定員は44名だったといわれています。

常南電気鉄道は開業当時から苦境が続く

意気揚々と開業しましたが、根崎駅から常磐線土浦駅へは、桜川を挟んで徒歩で約10分かかるという不便さもあり営業は振るわなかった。土浦駅前には、対抗する乗合自動車が発着し圧倒的に不利だったのです。

このため、常南電気鉄道は桜川に鉄橋を架け、土浦駅前〜根崎間の0.5㎞を1928(昭和3)年3月に地方鉄道法により開業、常磐線との接続を図り不便を解消します。ところが、当初からバスに乗客を取られ、1938(昭和13)年3月には早くも全線が廃止されてしまいます。

車両はすべて山梨県の峡西(きょうさい)電気鉄道に売却され、そのうち電動客車1両、付随客車2両が、宮城県の秋保(あきう)電気軌道に転売されています。なお、常南電気鉄道が消えたのち、阿見線の線路跡は軌道が道路沿いだったこともあり、ほとんど廃線跡らしき面影は残っていません。

阿見線廃止後、常南電気鉄道はバスを運行する常南バスとなりますが、皮肉にも廃線後に航空隊が拡張されると乗客が増加。さらに、常南バスは1944(昭和19)年に鹿島参宮鉄道に買収されてしまいました。

現代の地図に、かつての阿見線の線路をトレースしています。路線跡のほとんどが現在の国道125号と一致。こうした事情から当時の面影はほとんど残されていません。

常南電気鉄道は谷田部線も未成線の幻路線に終わる

谷田部線は予定された根崎〜谷田部間の免許が、経営悪化により1937(昭和12)年5月に取消処分となり、実現が不可能となってしまっています。計画当初の谷田部は陸の孤島的な状況で、町では鉄道敷設が大歓迎されたといわれ一株株主が多数登場しますが、こちらも残念な結果で終わっています。

谷田部線は未成線で、ルートや駅予定地がはっきりしていませんが、一部区間は着工され路盤が残され、現在でも見ることができます。

つくば市谷田部地区のある小道は、谷田部線の路盤を転用したものといわれ、地元では「電車道」と呼ばれています。また、常磐自動車道谷田部インターチェンジの北側にある都市計画道路の谷田部川に架けられた橋の欄干には、鉄道車両の車輪を模したものがあり、「電鉄橋」と命名されて立派な銘板が飾られています。この道が谷田部線の予定地であったこと、常南電気鉄道という短命に終わった鉄道があったことを後世に伝えており、感慨深く見ることができます。

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・長い不遇の時代を経て佐竹氏が常陸の覇者に返り咲く
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【見どころ】Part.4 茨城で育まれた産業や文化

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・鉱山開発と日立製作所の歴史
・原子力とともに歩んだ東海村の半世紀
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