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満蒙開拓青少年義勇軍のための内原訓練所

義勇軍に応募すると、まずは日本国内の内地訓練所で2カ月(のち3カ月に延長)の訓練を受け、満州に渡ってから現地で3年の訓練を受けることになります。すべての訓練を修了すると、既存の集団移民に「義勇隊開拓団」として編入されました。

国内で最初の内地訓練所が、東茨城郡下中妻村内原(しもなかつまむらうちはら)(水戸市)の内原訓練所です。45.6ヘクタールの敷地内には、「日輪兵舎(にちりんへいしゃ)」と呼ばれる建物が多数建設されていました。

内原が訓練所に選ばれた理由

上野駅から鉄道で約2時間というアクセスのよさもあり、内原が訓練所開設地に選ばれます。内原訓練所が手狭になり、のちに河和田分所がつくられました。

内原訓練所の日輪兵舎とは?

日輪兵舎とは、南信(みなみまこと)フランク・ロイド・ライトの弟子)に師事したことがある古賀弘人(こがひろと)が、満州開拓の際の住居兼防衛拠点として考案した建築物のことです。
円筒形の外壁に円錐形の屋根がのる構造で、その形状と日本国旗の連想から「日輪」の名がつけられます。建物内部には中心に1本の柱が立ち、傘のように放射状に材が広がって、円錐形の屋根を形成しています。非常に簡素なつくりで、40~60人程度の素人の少年であっても、1日がかりで1棟を建てることができたとされます。

訓練所では訓練生の寄宿舎兼教室として用いられ、1棟あたり60人程度が寝起きをともにしました。

満蒙開拓青少年義勇軍と内原訓練所のその後

内原訓練所と同様の拓殖訓練施設が日本各地に設置されるとともに、日輪兵舎も広まります。日輪兵舎の多くは拓殖訓練のためにつくられますが、大人数を収容できるという特長を生かし、火災からの復興作業のため集まった職人用などにつくられた例もあります。そして、当初の目的どおり、満州でも日輪兵舎が建設されたという記録が残ります。

1938(昭和13)年から1945(昭和20)年までのあいだに、8万6530名もの訓練生が内原から満州へと渡ります。その多くは満州で終戦を迎え、ソビエト軍の侵攻を受けシベリアに抑留されました。

終戦後間もなくして、内原訓練所は閉鎖。日本各地の日輪兵舎の一部は、小中学校の教室代わりや地域の寄り合いの場としてしばらく活用されます。現在、内原訓練所跡地には碑文と復元された日輪兵舎が立ち、戦時の様子を現代に伝えています。

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【見どころ】 Part.1 地図で読み解く茨城の大地

・地形・地質総論 茨城県域の地質って?
・東の名峰・筑波山はもともと地下の巨大マグマの塊だった!?
・国内で2番目に大きい湖、霞ヶ浦はどのようにしてできた?
・壁面の岩に海底火山の証!名瀑・袋田の滝が誕生するまで
・平磯海岸の恐竜時代の地層から、アンモナイトや国内初のサメ化石!
・県南部で続々と化石発見! 茨城に生きたナウマンゾウ
・南北に約95m広がる大炭田、常磐炭田を生んだ地層と産業史

…などなど茨城のダイナミックな自然のポイントを解説

【見どころ】Part.2 茨城を駆け抜ける鉄道網・交通網

・特急「はつかり」「ひたち」が走る大幹線・常磐線
・第二常磐線構想で生まれたつくばエクスプレス
・奥久慈清流ラインの異名をもつ魅力あふれる水郡線
・めずらしい非電化通勤路線、関東鉄道常総線・竜ヶ崎線
・鹿島参宮鉄道に始まった、鹿島鉄道鉾田線の在りし日
・水戸~石岡を結ぶ計画も……幻の水戸電気鉄道とは?
・阿見線に加え谷田部線? 常南電気鉄道による幻の計画

…などなど茨城ならではの鉄道事情を網羅

【見どころ】Part.3 茨城で動いた歴史の瞬間

・水に恵まれた茨城に人が定住 権力が生まれる
・地方王権の誕生を示す県内最大の古墳・舟塚山古墳
・石岡に置かれた常陸国府とそれを取り巻く交通路の痕跡
・常陸で成長した武家の二大勢力 常陸平氏と佐竹氏
・源頼朝が佐竹氏・平氏討伐! 鎌倉御家人たちが入国
・長い不遇の時代を経て佐竹氏が常陸の覇者に返り咲く
・水戸で育った尊王攘夷思想 桜田門外の変や天狗党の乱に発展

…などなど、激動の茨城の歴史に興味を惹きつける

【見どころ】Part.4 茨城で育まれた産業や文化

・水戸藩に飲料水を運んだ地下水路・笠原水道
・東洋一の航空基地 霞ヶ浦海軍航空隊が置かれた街・阿見町
・2000万人超が来場した科学博、つくば万博の熱狂と跡地の変身
・鉱山開発と日立製作所の歴史
・原子力とともに歩んだ東海村の半世紀
・陸の孤島だった鹿島が臨海工業地帯になるまで
・野菜産出額日本一の街が茨城に!? 鉾田市で農業が盛んな理由とは

…などなど茨城の発展の歩みをたどる。

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