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兵庫津から「神戸港」「兵庫港」へ港機能が移行

兵庫津はすでに人口密集地となっており、大きな港湾施設を新設するのには向かず、外国人と住民のトラブルが懸念されました。このため、兵庫津のすぐ東で当時はまだ人家の少なかった神戸村を開港場としました。

ですが、畿内は朝廷のお膝元だったので容易に開港の勅許(ちょっきょ)がおりず、横浜や箱館よりも10年近く遅れてようやく開港されました。

「神戸港」「兵庫港」開港によって築かれた外国人居留地と南京町

開港後は、湊川より西を「兵庫港」、東を「神戸港」と定めました。開港場の東部には格子状に区画された外国人居留地が築かれ、洋風建築が次々とつくられます。居留地の西側は、日本の商人や清国人などが混在する雑居地となり、のちに「南京町」となります。

神戸港の第一波止場は、幕府海軍操練所の船入場を改修したものです。初期は桟橋(さんばし)も小さく、大型船は接舷(せつげん)できないため、小型のはしけに貨物を積み替えて荷揚げしました。

「神戸港」「兵庫港」が1つで「神戸港」に

神戸港長として兵庫県に雇われたイギリス人のジョン・マーシャルは、大規模な築港計画を立て、1884年には小野浜に全長178mの鉄製桟橋が完成します。港湾設備が拡充するにつれて神戸港は隣接する兵庫港と一体化し、1892年には兵庫港と神戸港をまとめて神戸港と呼ぶ勅令が公布されました。

神戸港の発展と拡充

明治時代を通じて、神戸港の輸出入総額は急速に拡大していきました。開港直後、全国の港湾に占める神戸港の輸出入総額はわずか3%でしたが、10年後の1877年には17%に増え、日清戦争後の1897年には42%と全国の半分近くを占めるまでになりました。

これは、阪神一帯で紡績業が大きく発達したためです。1882年には、渋沢栄一らによって東洋紡(とうようぼう)の前身となる大阪紡績会社が設立され、さらに鐘紡(かねぼう)や日本毛織が兵庫県内に工場を築きました。神戸港は、紡績工場が使用する綿花の輸入と加工された綿織糸や綿製品の輸出に活用されます。

神戸港は近畿最大の貿易港へ

大阪港は水深が浅くて大型船の接岸には向きませんでしたが、安田財閥の支援により1897年から港湾設備の拡充が進められました。神戸港も、近畿最大の貿易港の地位を守るためさらなる拡充をはかります。

1905年には元神戸税関長の水上浩躬(みなかみひろみ)が神戸市長に就任します。神戸新港の第1期修築工事に着手して、新港第一突堤から第四突堤(西)までが築かれました。続いて第2期修築工事が進められ、総延長6000mの防波堤、総延長9000mもの係留岸壁(けいりゅうがんぺき)が完成しました。

1923年の関東大震災により、生糸の輸出拠点は横浜港から一時的に神戸港に移ります。このため、輸出入総額は日本一となりました。

神戸港の戦前の発展と戦後の復興

昭和期に入ってからも神戸港の輸出入額は増え続け、港湾設備もさらに拡張されました。上海、シンガポールとならぶ東洋で最大級の貿易港となりますが第二次世界大戦でアメリカ軍の重要な攻撃目標とされ、1945年6月の神戸大空襲によって市の東半分が全壊します。

神戸港の復興と巨大な人工島

戦後の復興が進むと、神戸港では背後の六甲山地を削った土砂を使って大規模な埋め立てが進められました。1966年には、神戸市灘区に日本初のコンテナ埠頭である摩耶埠頭が完成します。1980年代には総面積約8.33㎢のポートアイランド、総面積約5.95㎢の六甲アイランドという2つの巨大な人工島が完成しました。

神戸港の輸入物と役割の変化

高度経済成長期を通じて神戸港の役割も変化し、輸入品目は綿花から食料、工業原料、石油や石炭などに変わり、輸出品目は綿製品から機械製品に移りました。また、輸出港としてだけでなく、香港、釜山、シンガポールなど、東アジア各地の主要な港の中継地となるハブ港として活用されています。

消えた国際自由港区化計画

1960年代、原口忠次郎(ちゅうじろう)神戸市長は、ポートアイランドの建設にあたり、香港やシンガポールのように外国貨物に関税を課さない自由港区とすることを構想し、諸外国にも協力を呼びかけました。しかし、当時の大蔵省が難色を示して計画は幻に終わっています。

神戸港は開港150周年以上となりさらに発展を目指す

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で、神戸港は大きな被害をこうむり、一時的に貨物の取扱量も低下しました。しかし、神戸市民の熱意によって復興を果たしたのち、2004年には国土交通省によって、大阪港とともに阪神地区の「スーパー中枢港湾(特定重要港湾)」とされています。

長い歴史を歩んできた神戸港は、2017年に開港150周年を迎え、さらなる発展を目指しています。

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