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中野刑務所、その知られざる歴史。 あの人も収監されていた

中野刑務所の歴史は、明治後期にさかのぼります。

新宿区富久町にあった「市谷監獄」の機能を移転させたものでした。更にさかのぼると、江戸時代の「小伝馬町牢屋敷」の流れをくむ施設だったそうです。当初は「豊多摩監獄」と呼ばれていましたが、いくつかの改称を経て、最終的に「中野刑務所」となります。

施設建物の竣工は、1915(大正4)年。この設計を担当したのが、司法省(現・法務省)技師・後藤慶二(1883-1919)でした。
彼は東京帝国大学(現・東京大学)を卒業間もない、将来を嘱望された若き建築家でした。その後の飛躍が期待されていたのですが、程なくして、35歳で早世しています。
監獄には大きな時計台が設けられていました。西洋の模倣から脱却しつつあった、大正時代モダニズムを代表する建築だったそうです。

この施設の歴史で、特筆すべきは、ここに多くの「思想犯」が収監されていたことです。
かつて戦前の日本では、「治安維持法」によって、言論の統制が行われていました。その取り締まりによって、多くの言論人・文化人がこちらに投獄されることになります。
その名前を挙げると、大杉栄、荒畑寒村、亀井勝一郎、中野重治、河上肇、三木清など、錚々たる顔ぶれが並びます。『蟹工船』で知られるプロレタリア文学者・小林多喜二も、その一人だったようです。
戦後の話になりますが、歌手・加藤登紀子の夫・藤本敏夫(2002年没)が、学生運動の指導者として検挙され、収監されたのがこの刑務所でした。彼らは、この時期獄中結婚しています。

また、1961年には受刑者2名の脱獄事件が発生し、世間を騒がせたこともありました。脱獄犯は翌日検挙されますが、周辺の住民は、不安な時間を過ごしたといいます。

あの池袋・サンシャインシティも、かつては「塀の中」だった

ところで、この中野刑務所とよく似た歴史をたどった施設が、都内にはもう一つありました。
豊島区東池袋にあった「東京拘置所」です。
かつては「巣鴨刑務所」「巣鴨プリズン」とも呼ばれ、第二次世界大戦後には、戦犯(戦争犯罪人)が収容されていました。

1968年発行 区分地図 豊島区/昭文社 より

こちらがその1968年当時の地図です。

拘置所があったのは、ターミナル駅の池袋駅から東に向かい、当時建設中の首都高速道路 を越えた辺りでした。
道路で囲まれた長方形の区画の中に、「東京拘置所」の文字があります。
拘置所の本館を囲むように、小さな官舎が立ち並んでいた様子が読み取れるでしょう。

2022年発行 街の達人 東京都/昭文社 より

その後、拘置所施設は廃止。取り壊され、公園や複合商業施設「サンシャインシティ」などに生まれ変わりました。

こちらが現在の地図です。拘置所の敷地である長方形の区画は、そのまま残っているのがわかります。
その区画中には、水族館、プラネタリウム、博物館など様々な文化・レジャー施設が見て取れます。今や、東京を代表する観光地のひとつ、と言ってもよいでしょう。
この施設のランドマークは、地上60階のビル「サンシャイン60」。1978年の完成当時は「アジアNo.1」の高さで話題になりました。

一方、拘置所時代の痕跡はすでにありません。多くの人には忘れ去れてしまったかのようです。
ただ、跡地の東池袋中央公園の一角に、ここで処刑された戦犯を偲ぶ石碑が建っているのみです。
そこには「永久平和を願って」という文字が刻まれています。

「暗黒の」刑務所から「平和の」森公園へ  旧中野刑務所の現在。

「暗黒の」刑務所から「平和の」森公園へ  旧中野刑務所の現在。
2022年発行 街の達人 東京都/昭文社 より 

さて、中野刑務所に話を戻しましょう。
1983(昭和58)年、刑務所は、その歴史に幕を閉じました。

こちらが現在の地図です。
その跡地は、中野区立平和の森公園、中野水再生センター(東京都下水道局)などの公共施設として生まれ変わっています。以前は、法務省矯正研修所という施設もありましたが、現在は移転しています。

刑務所だった時代の痕跡は、殆ど現存していません。
唯一、刑務所時代の正門だけが、往時を偲ぶ建造物として残っています。先述の建築家・後藤慶二の作品と呼べるものは、この門しか現存していないのが惜しまれます。

2021年、この門は「旧豊多摩監獄表門」という名称で、中野区指定有形文化財に指定されています。その指定理由には、「近代の歴史的遺産として希少な建築物である」という点が挙げられています。中野区主催の見学会も2021年には実施されています。ユニークでち密な煉瓦造りの建物を、一度ご覧になってみては如何でしょうか。

さて、今回は、昭和40年代発行の地図から、東京の刑務所の歴史をひも解いてみました。

普段さんぽしている公園が、かつて意外な施設だった!というお話は、まだあるかもしれません。

みなさんも「ちょっと昔」地図から、小さな時間旅行に出かけてみては如何でしょうか。

【参考とした資料:中野区文化財指定調書・旧豊多摩監獄表門、中野区公式観光サイト、中野区ホームページ】

1968(昭和43)年はどんな時代?

<出来事>
・霞ヶ関ビル竣工
・東名高速道路東京IC〜厚木IC間開通
・三億円強奪事件
・長編劇画「ゴルゴ13」の連載が開始
<流行語>
・とめてくれるなおっかさん
・ゲバルト
<映画・テレビ・音楽>
・映画「卒業」「2001年宇宙の旅」
・テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」
・ヒット曲: ヘイ・ジュード(ビートルズ)/星影のワルツ(千昌夫)/三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)

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昭文社が刊行してきた都市地図には、道路や鉄道、河川など街の骨格となる情報はもちろん、町丁名や地番、学校・役場などの公共的施設から、住宅団地やアパート、スーパー・デパート、工場や倉庫などの民間施設まで豊富に掲載してきました。収録内容も時代とともに変化するなど、地図はその時々の景観や暮らしが垣間見える「街の記憶」でもあります。

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<商品の概要>
◆収録されている都市地図の刊行年 「1968年」「1985年」「2001年」「2014年」

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

現住所は地図雑学系ライター、本籍は地図実踏調査員。昭文社地図の現地調査歴15年以上の、自称「地理のプロフェッショナル」チームです。これまで調査・取材で訪問した市区町村は、およそ500以上。昭文社刊『ツーリングマップル』『全国鉄道地図帳』等の編集に参加しています。休日は、国内外の廃線、廃鉱など「廃」なものを訪ねる「廃活」、離島をめぐる「島活」中。好きな廃鉱は旧羽幌炭鉱、好きな島はサンブラス諸島(カリブ海)と大久野島。特技は「店で売ってる野菜の産地名⇒県名を当てること」。

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