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江戸川区は金魚と小松菜のふるさと

今和泉:
さっき、都営新宿線や地下鉄メトロ東西線はまだないという話をしましたよね。総武線が北側を通っていますが、南側には目立った路線がありません。

西荒川の周辺はちょっとだけ都電が走ってますが、江戸川区の中心部は都電が走っていない、というのもミソですね。それより南側になると、江東区の端っこにある「葛西橋」電停しかありません。

▲江戸川区中央部、南側への鉄道アクセスは西荒川(赤丸)と葛西橋(青丸)のみ。どちらも荒川の西側だ(クリックで拡大)

少年B:
江戸川区の南側に住んでる人たちは葛西橋から歩いていくしかなかったってことですか!? これはかなり不便ですね……!

今和泉:
確かに一見不便ですが、都市には都電が走っていたのだから、逆に都電が走っていないということは田舎だったという考え方もできます。

少年B:なるほど。そもそも暮らしている人が少なかったかもしれない、と。

今和泉:
では、当時のこのあたりに何があったのかを見てみましょう。たくさんの養魚場や養魚池がありますね。

▲江戸川区の南側には養魚場や養魚池が大量にある(クリックで拡大)

少年B:
めちゃめちゃたくさんありますね。いったい何を育ててたんだろう。おいしいからマグロとかかな。

今和泉:
だといいですよね〜。しかしそうではなくて、ぜんぶ金魚の養魚場なんですよ。

少年B:
えー、これぜんぶ!? さすがに多すぎません???

今和泉:
じつは江戸川区は金魚の三大産地のひとつなんですよ。当時、多くの人たちの間で金魚がもてはやされていたそうで、都心では特に需要が高かったんです。

ただ、養魚には広い土地や設備がいるので、都市に近い田舎が最適だったということになります。江戸川区は、その条件を満たすエリアだったということでしょうね。

少年B:
養魚場ひとつでそこまでわかっちゃうんだ……!

今和泉:
ただ、江戸川区が金魚発祥の地というわけでもないんです。関東大震災以降の金魚需要の高まりを受けて、広い池を求めて田舎に移動した結果、もともと江東区のあたりにあった養魚場が江戸川区に移動してきました。

ちなみに、江戸川区も一時的に多くなっただけで、このあとまた金魚の養魚場は地方に移動していくんですよ。江戸川区もこのあと一気に発展して都市化を遂げたので。

少年B:
確かに今の江戸川区って人口が増えて、東西線がめっちゃ混んでるイメージですよね。養魚場があったなんて想像できないな……。

今和泉:
現在、江戸川区の養魚場は1ヶ所しか残っていないそうです。佐々木養魚場といって……あ! この地図に載ってますね。

▲1966年の地図にはくっきり「佐々木養魚場」の文字が(クリックで拡大)

今和泉:
地図上には2ヶ所名前が出ていますが、それだけ広かったのか、親戚やたまたま同じ苗字の人がやってたのか、どっちなんでしょうね。現在の佐々木養魚場は稲荷神社の近くのようなので、一番北側の池のあたりですね。

少年B:
佐々木養魚場、いま調べたらTwitterやってますね!1966年の地図に載ってる養魚場がSNSで見れると思うと、感慨深いなあ……。

佐々木養魚場のTwitterアカウントを見つけた。なんと1837年から続いているそう

今和泉:
あと、もうひとつ江戸川区の産品にまつわるクイズを出します。小松川でとれていた野菜と言えばなんでしょうか?

少年B:
小松川の、野菜……? はい、わかった! 小松菜です!!!

今和泉:
おお、正解です! 小松菜は小松川付近で採れる伝統野菜の一種だったんですが、今はメジャーな野菜の仲間入りをしましたよね。

少年B:
小松菜って、昔はローカル野菜だったんですね! 信じられないなぁ。これはクイズでしたが、都市地図を見てもここは畑が多いとかってわかるんですか?

今和泉:
そうですね、たとえば南側の「葛西1丁目」や「堀江町」を見てください。

▲長島町に比べて、葛西1丁目や堀江町は土地の区画が大きい(クリックで拡大)

今和泉:
長島町のあたりは道が多くて、土地が細かく区切られていますが、葛西1丁目や堀江町は道路で区切られたひとつひとつの区画が広いですよね。

これは、土地を細かく分ける必要がない。つまり田畑であったり、庭の広い大農家である、ということが読み取れます。

少年B:
そんなことまでわかるんだ! 地図ってすごい!

今和泉:
農業や養魚が盛んで、都電は走っていなかった。ということは、当時の江戸川区の南側はあまり都市化されていなかった、ということが地図から読み解けるわけです。

映画館と郵便局は町のインフラだった

今和泉:
さて、今度は北側をたどってみましょう。総武線の小岩駅、京成線の京成小岩駅、江戸川駅があって、小岩駅の近くにはクローバーのマークが並んでいます。これは映画館ですね。

▲小岩駅の周辺には北側に5つ、南側に1つ、計6つの映画館があった(クリックで拡大)

少年B:
数えてみたら6ヶ所もありますね! 多い!

今和泉:
当時はまだ大型商業施設があまりなかった時代なので、人々が集うのは商店街でした。大型商業施設が少ないなかで、映画館の存在感は大きかったでしょうし、多くの人が集まる街であれば、映画館の数も多いだろうと読み取れます。

少年B:
ショッピングモールがない時代だもんなぁ……。

今和泉:
ただ、当時の紙地図では商店街を色分けして描く習慣がありませんでした。なので、商店街にあったであろう映画館のマークが、その町の賑わいを想像させてくれる、というわけです。

少年B:
映画館があるということは、その前後に寄るであろう飲食店や、ついでに買い物のできるお店も多かったと推測できる、ってことか。地図の見方、奥が深いですね……!

今和泉:
続いては、1968年の地図を見てみましょう。

▲1968年の江戸川区の地図(クリックで拡大)

少年B:
開通はまだしてないけど、首都高7号線と東京メトロ東西線が描かれてますね! 都営新宿線はまだできてないのかぁ。

今和泉:
東西線は営団地下鉄東西線として、この年の3月に開通します。首都高7号小松川線は1971年開通なので、2年後のこと。都営新宿線の江戸川区内区間が開通するのは1980年代なので、まだだいぶ先ですね。

地下鉄の話はあとでするとして、ここで見てほしいのは葛西エリアです。

少年B:
はい。

▲情報が増え、保育園や公衆浴場のほか、ポストなども記載されている(クリックで拡大)

今和泉:
情報が増えて、保育園や公衆浴場が記載されるようになりました。あと、郵便ポストの位置が書いてありますね。

少年B:
ほんとだ! ポストの位置が載ることなんてある!?

今和泉:
メールもLINEもない時代、人とやりとりするためには郵便が主に使われているわけですよ。動画を観るなら映画館に行くしかなかったですし。

今は何でもスマホでできちゃうけど、当時の郵便局や映画館は社会生活において必要不可欠なインフラだったから、たくさんの情報を載せようとしたときに、優先度の高い情報として、地図に描かれたんでしょうね。

少年B:
地図から当時の生活の様子が伝わってくるってわけですね。あ! 松江一丁目のあたり、公衆浴場が密集していますよ。これはなぜでしょう。

▲松江1丁目を中心に、公衆浴場が密集している(クリックで拡大)

今和泉:
このへんは人が多かったんでしょう。今でも商店街があり、行くと当時賑わっていたことも感じられます。松江1、2丁目や中央2丁目のあたりに工場が多いのも影響しているのかもしれませんね。

このように、映画館や郵便局、浴場などの密集具合を見ていくと、当時の暮らしや町の豊かさが想像できるんです。

地図を見比べるとわかる江戸川区のビフォーアフター

今和泉:
では、最後に現在の地図を見てみましょうか。

▲2021年発行の江戸川区区分図(クリックで拡大)

少年B:
葛西のあたりだと、アリオの大きさが目を惹きますね。1966年と比べると、ほんとに発展したんだなぁ、というのがわかります。

今和泉:
アリオ葛西は、かつての日本ロール製造と東京パイプ製作所の敷地の一部ですね。

▲アリオ葛西付近の変化。1968年と比べると、まるで違う(クリックで拡大)

少年B:
工場がなくなって、商業施設になったのかぁ。1969年の地図を見ると、けっこう川沿いに大きな工場が並んでいるんですね。平井四丁目の旧中川沿いにも工場が続いてます。

▲1968年は工場が目立つ旧中川沿いだが、2021年はマンションが並んでいる(クリックで拡大)

少年B:
明治製菓、ライオン……名だたる企業が並んでいますね! こちらは今はほとんどマンションになってるみたいですけど。なんで川沿いに工場が多いんでしょう?

今和泉:
製品を製造する過程で不要となったものを流す場合、川や海があると排水しやすかったんです。環境配慮や企業の社会的信用といった考え方が浸透していなかった時代は、排水をそのまま流して公害になりましたが、公害が社会問題になってからは浄化するようになっています。

東京の地価が高騰し、工場は徐々に地方や海外へと移動していくんですが、1960年代はまだこのあたりにも工場が多かったんです。

少年B:
都心の範囲が拡大していったという話が、そういうところからもわかるんですね。地図ってすごいなぁ。

今和泉:
一方で、東篠崎町にある本州製紙は残っていますね。

▲東篠崎町には工場が残る(クリックで拡大)

少年B:
ここは王子マテリアの工場になってる! 本州製紙って聞かない名前だなぁと思って調べてみたら、本州製紙は王子ホールディングスと合併した会社なんですね。

別の用途に変わるところもあれば、そのまま工場として残っているところもあるんだなぁ。

今和泉:
あと、気になるところはありますか?

少年B:
そういえば、1966年には小島町に謎の島があったんですが、1968年にはなくなっていますね。作図のミスかな?

▲左が1966年、右が1968年。小島町の島が消えている(クリックで拡大)

今和泉:
これはおそらく、埋め立て中の土地ですね。人が入れない、海中に土を盛って造成している場所を、1966年の地図では陸として書いたけど、1968年はいったんいいか、ってことになって描かなかったんでしょうかね。

少年B:
ほんとだ! ぜんぜん気づいてなかったんですが、今の江戸川区って1968年からだいぶ形が変わっていますね! 埋め立てられたんだ!!!

江戸川区に地下鉄が登場!地上を通っているのはなぜ?

今和泉:
埋め立ての話が出たので、地下鉄と合わせて説明しましょうか。では、クイズの第2問です。

70~80年代になると江戸川区に地下鉄が通るのですが、この地図のどこらへんに線路が通るでしょうか。東西線は描かれていますが、新宿線はどこだかわかりますか?

少年B:
江戸川区内には、東大島、船堀、一之江、瑞江、篠崎の5駅があるんですよね。うーん、この60年代の地図だと……町名を結べばいいんですかね。むずかしい。

今和泉:
じゃあ、正解を見てみましょう。ざっくりですが、描いてみました。こんな感じになりますかね。

▲駅のだいたいの位置を1969年の地図に配置したもの(クリックで拡大)

少年B:
なんでわかるんですか???

今和泉:
学校や神社仏閣、太い道路や橋などは位置が変わらないことが多いので、新旧の地図でそれらを照らし合わせるとだいたいの位置はわかるんです。もちろん橋が架け替えられることもあって、たとえば荒川にかかる船堀橋なんかは北側に移動しているので、注意が必要ですけど。

瑞江駅は給水場の向かいにあるのでわかりやすいですね。

少年B:
ほんとだ。瑞江駅向かいの給水場ってそんなに昔からあるんですねぇ。

今和泉:
ちなみに船堀駅は地下鉄ですが、地上に出ていますよね。過去の地図でそのあたりを辿ってみると、現在の船堀駅にあたる場所に都営バスの江戸川車庫があるとわかります。

使わなくなった車庫の跡地を都営地下鉄の駅にしたわけです。うまいこと活用しましたね。

▲1966年の地図に駅の位置を落とし込むと、船堀駅(赤丸)は都営バスの江戸川車庫、一之江駅(青丸)は瑞江バス停の近くだ(クリックで拡大)

少年B:
なるほど!ということは、そのまま辿ってみると……トロリーバスの瑞江バス停の近くが、現在の一之江駅なんですね。瑞江なのに一之江。しかも住所は春江町4丁目(※)。ううん、ややこしいな!(笑)

※現在は住所変更により一之江8丁目となっている。なお、工事中の一之江駅の仮称は「春江駅」だった。

今和泉:
船堀駅と東大島駅の間は川があって地下を通しにくいので、ここだけ地下ではなく高架になっているんです。都営新宿線ができたあと、東西線のさらに南側に京葉線ができて、現在の江戸川区の路線が完成します。

少年B:
交通機関の増え方から想像すると、この頃に都市化が一気に進んだんですね。

今和泉:
関東大震災以降、荒川の西側は宅地化されていったのですが、荒川の東側は取り残されていました。しかし東京都の人口が急増したので、東側にも都市化の波が押し寄せてきたわけです。

少年B:
東西線に注目してみると……あれ? 1968年の地図には西葛西駅がありませんね。

▲1968年の地図には西葛西駅がない(クリックで拡大)

今和泉:
西葛西駅は1979年に後から作られたので、この段階ではないんですよね。この地図でいうと、新田1丁目のあたりです。このあたりは「新田」という地名を見るに、それ以前に海を埋め立てて作られた場所だと思いますね。

あと東西線って、地上を走る地下鉄ですよね。地下鉄なのに地上を走るって変わってると思いませんか?

少年B:
ああ、そういえば東西線は南砂町駅から西船橋駅の間は地上を通りますよね。あっ、江戸川区はぜんぶ地上区間なんだ!

今和泉:
そうなんです。作る側としては、もし「地上と地下、どっちを選んでもいいよ」って言われたら地上を通したいんです。地下を掘るより建設費が安く上がるので。

東西線が通っているところは地下を掘る必要がなかった。つまり、宅地化が進んでいなかった、とも言い換えられます。

少年B:
なるほど! だから地上を走ってるのか。

今和泉:
そういう視点で見ると、1960年代の新田や葛西のエリアは何もないですよね……。道路と道路の間隔も広いですし、特に新田や葛西2丁目なんかはほとんど人が住んでなかったんじゃないかな。

▲1966年の新田や葛西2丁目には、目印になるようなものがほとんどない(クリックで拡大)

少年B:
確かに……。工場はあるけど、お寺や神社もほとんどないですね。近くの葛西1丁目や長島町にはけっこうあるのに。

今和泉:
そう、だから東西線は地上を走る地下鉄なんだろうなと想像できるわけです。そして、都営新宿線はできた当時から建物が多くて、人がたくさん住んでいるから、地下を通ったと。

少年B:
なるほど……。あと、これはさっき気付いたんですが、葛西臨海公園のあたりは大幅に形が変わってますが、これも埋立地ってことですよね?

今和泉:
その通り! 葛西臨海公園付近も埋立地なんですよ。つまり京葉線は、かつての海上を通っています。

▲1968年と2021年の差。葛西臨海公園を含めた、大規模な埋め立てが行われ、地形が大きく変わった(クリックで拡大)

少年B:
東西線なんて今や東京メトロで一番混む路線だし、江戸川区って50年ちょっとで大幅に変わったんですねぇ……。

江戸川区の地図は「都市化」が楽しめる

地図をたどることでわかったのは、江戸川区の劇的なビフォーアフターです。かつては都心に近いものの、のどかな農村地帯だった江戸川区に人が流れこみ、徐々に公共交通機関が増えていく様子が地図には描かれていました。そして、その過程では埋め立てが進み、地形そのものも大きく変化していったのです。

今和泉さんのお話を聞いて、ほんのひと昔前まで海だった場所が栄えていることを想像し、不思議な気持ちになりました。

今和泉さんの地図話はまだまだ続きます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21