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八幡製鉄所の歴史と世界遺産登録に至るまでの背景 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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八幡製鉄所の歴史と世界遺産登録に至るまでの背景

日本最大規模の官営製鐵所として誕生した八幡製鐵所。全国の候補地からなぜ八幡が選ばれたのでしょうか?さらに、現役で稼働する施設の一部が世界遺産に登録された背景は?

八幡製鉄所の歴史①:なぜ福岡の八幡が建設地に選ばれたのか?

明治20年代に入ると鉄道の敷設が急速に進み、工業の発展も重なって、鉄鋼の需要が急増しました。しかし、当時の日本はそのほとんどを輸入に頼っていました。そこで製鉄所の建設案が浮上し、明治28(1894)年2月、第8議会で「製鉄所設置建議案」が可決され、同29(1895)年3月、「製鐵所官制」が発布されました。この間に建設地の検討が進められ、最終的に広島県安芸郡坂村、現在の北九州市の企救郡(きくぐん)柳ヶ浦村、同郡板櫃村(いたひつむら)、遠賀郡八幡村の4か所に絞り込まれ、協議の結果八幡村に決定しました。

選定された理由として、用水が十分に確保できること、地価が比較的安く用地買収費が少なく済むこと、洞海湾は防御に有利ではないですが敵艦も容易に近寄れないことなどが挙げられますが、何といっても製鉄に不可欠な石炭の産出地(筑豊)に近いことが最大の理由であったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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