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八幡製鉄所の建設は地理的必然性が高かった

製鉄は鉄鉱石を高炉に入れて加熱して溶かし、不純物を除去して銑鉄を作る工程をいいます。その際には大量の石炭(蒸し焼きしたコークス)が必要となり、重くて嵩張る大量の石炭をいかに早く安く輸送するかを考えると、洞海湾―八幡の地が選ばれたのも必然だったと思われます。もちろん地元の町村長や筑豊炭鉱家の積極的な誘致運動も重要な意味を持っていました。

こうして明治34(1901)年2月5日、第一高炉に火が入って、官営製鐵所は操業を開始しました。しかし生産はなかなか軌道に乗らず、二度高炉の停止に追い込まれますが、それでも改良を重ねて、ようやく安定した生産を実現するようになりました。

八幡製鉄所の歴史②:世界遺産に登録された背景

ユネスコの世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録されている八幡製鐵所関連施設は4件、うち3件が北九州市、1件が中間市にあります。①旧本事務所は明治32(1899)年に建設された赤煉瓦組み2階建て、中央にドームを持つ左右対称の建物で、長官室、顧問技師室、外国人技師室などがあり、官営製鐵所の中枢の事務所でした。②修繕工場③旧鍛冶工場は明治33(1900)年にドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH)社の設計・鋼材で建設。いずれも鉄骨建築物としては日本でもっとも古い建物のひとつで、修繕工場は現在も使用されています。

官営八幡製鐵所関連施設の①旧本事務所、②修繕工場、③旧鍛冶工場、すべて見学することはできませんが、①のみ近くに設けられた眺望スペースから眺めることができます。

八幡製鉄所の歴史的資料が世界遺産登録のカギとなった

両者とも増築を重ねてきましたが、その際には製鐵所で生産された鋼材が使われていて、建物そのものが外国から日本国内への技術移転、国産化の経緯を物語っており、世界文化遺産としての価値を証明しています。④遠賀川水源地は官営製鐵所の拡充に伴ってさらなる水(冷却水)の確保が必要となったため、明治43(1910)年に建設されました。石炭ボイラー8基と汽道(蒸気)ポンプ4基を持ち、八幡の工場まで11㎞を超える送水管を埋設しました。当初の汽道ポンプは電動ポンプに切り替わり煙突も撤去されますが、赤煉瓦造の外壁や屋根の鉄骨構造は建設当時のまま残っています。これら4つの施設は日本製鉄株式会社の敷地内にあるため一般には非公開となっていますが、旧本事務所については、約80m離れた「眺望スペース」から見学可能となっています。

八幡製鐵所が所蔵する豊富な資料の中には、開業翌年の明治35(1902)年に製造されたレールがあります。このレールはJR高尾駅(東京都)などに残されていますが、開業年の明治34(1901)年製のレールは見つかっていません。製鐵所は11月に開業したため、開業年の出銑量が少ないので当然かもしれませんが、今もどこかに残されている可能性もあります。

八幡製鉄所を含め福岡県内で登録されている世界遺産「明治日本の産業革命遺産」

九州・山口を中心に8県11市にわたる23の資産で構成された世界遺産。幕末から明治にかけ約50年という短期間のうちに、飛躍的な発展を遂げた『日本の近代化』が評価されたものです。
屋久島の屋久杉や兵庫県の姫路城などと異なり、ひとつひとつの遺産は地味で目立つものではありませんが、関連する資産を広域で連携させることで、そのストーリーに歴史的価値が生まれ唯一無二なものとなります。すなわち、明治日本の産業革命遺産とは、23の構成資産それぞれの価値はもちろん、「日本の近代化というひとつの物語」が世界に認められたケースなのです。福岡県では23の資産のうち、官営八幡製鐵所関連施設(4か所)、三池炭鉱専用鉄道敷跡三池港三池炭鉱宮原坑三池炭鉱万田坑の5つが登録されています。

八幡製鉄所の歴史③:栄華、衰退、大きく変容した「鉄都八幡」

明治34(1901)年に官営製鐵所が開業すると、八幡は関連産業も発展、人口が増加し、重工業都市として急成長して、大正6(1917)年に市制施行します。多くの官舎(昭和9年民営化後は社宅)や福利厚生施設が建設され、八幡は製鐵所が圧倒的影響力を持つ企業城下町となりました。大正9(1920)年には福岡市を抜いて県下最大の人口を誇ったこともあります。

第二次世界大戦で八幡は何度か空襲に遭い、とくに昭和20(1945)年8月8日の空襲で大きな被害を受けました。戦後「戦災復興都市」に指定され、戦災復興と都市計画を総合した「モデル工業都市」の建設を推進し、国の傾斜生産政策に伴い製鐵所の生産も増大しました。しかし製鐵所が合理化政策に転ずると、エネルギー革命による炭鉱の閉山も重なって、製鐵所は機能を縮小していきます。堺や君津などへの転勤者も多く、八幡の人口は流出し、市勢の停滞や下降が意識されて、「鉄冷え」と呼ばれました。

製鐵所の跡地はスペースワールド(平成29年閉園)や博物館などに利用されて、「鉄都八幡」は大きく変容していったのです。

八幡製鉄所の歴史が感じられるスポット

とはいえ、世界文化遺産の4施設だけでなく、東田第一高炉跡(北九州市指定史跡)をはじめ、中央町商店街大谷会館大谷球場製鐵病院鉱滓線河内貯水池など多くの見どころがあり、これらを巡れば往時の「鉄都八幡」を感じ取ることができます。さらに「明治日本の産業革命遺産」に選ばれているほかの地域の製鉄関連資産や筑豊の炭鉱跡などを伴せて見ていくことで、八幡製鐵所が果たした役割をより明確に理解していただけるでしょう。

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