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金沢の三文豪が愛した犀川と浅野川~文学の香りがただよう金沢の川~

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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金沢の三文豪が愛した犀川と浅野川~文学の香りがただよう金沢の川~

犀川や浅野川沿いで生まれた室生犀星、泉鏡花、徳田秋聲らは、作品でも金沢や川の風景を描きました。
金沢の川は、彼らの目にどう映っていたのでしょうか。

金沢の文豪・泉鏡花の小説が呼び名の由来になった犀川と浅野川

犀川が「おとこ川」、浅野川が「おんな川」と呼ばれるようになったのは、浅野川沿いに生まれた泉鏡花(いずみきょうか)の小説からです

小説『由縁の女』(ゆかりのおんな)のなかで、登場人物が浅野川を「この川は水が柔らかくて、蒼い瀬も、柳の葉の流れるようだで、俗に女川と言うだがね」と説明する場面があります。

確かに浅野川は穏やかで優美な流れであり、対する犀川(さいがわ)は流れが強く、かつて氾濫も多かったことから「おとこ川」と表されるようになりました。

金沢の文豪・泉鏡花の生い立ち

父は加賀象嵌(ぞうがん)の彫金師、母は加賀藩お抱えの大鼓師の娘であったため、泉鏡花は加賀藩の伝統文化を生まれながらにして浴びるような環境で育ちました。『照葉狂言』(てりはきょうげん)という作品は、能役者の女と、それを慕う若者が主人公であることからも、両親の影響は大きかったようです。

泉鏡花が心に描いた故郷・金沢の風景

泉鏡花は、生涯で約300編もの作品を執筆しました。そのうち、『義血俠血』(ぎけつきょうけつ)を含む約50編の舞台が金沢です。最後の作品『縷紅新草』(るこうしんそう)では、金沢の街について「ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」と書いており、晩年も故郷の風景が胸にあったことがうかがえます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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