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山梨の大水害後に北海道へ集団移住した人々も

この時、北都留郡、東山梨郡、東八代郡などに住んでいた計650戸・約3000名の人々は、生活の復旧が困難であることから、北海道の南部にある羊蹄(ようてい)山の南麓から北東麓にかけての地域に集団移住し、当地で農業に従事しました。

羊蹄山の麓には、「倶知安(くっちゃん)町山梨」や「京極(きょうごく)町甲斐」など、山梨県にちなんだ名称が付けられた地区や建物などが残っています。集団移住した人々は、富士山に似ている羊蹄山を「蝦夷(えぞ)富士」と呼び、心のよりどころとしていたようです。

しかし、苦労して農業を行ったものの、北海道の冷涼な気候に適応できず、多くの移住者は離農しています。

山梨の大水害後に北海道へ集団移住した人々も

北海道にある羊蹄山。集団移住した人々のよりどころだったといいます。

山梨の大水害の原因

水害の原因としては、産業の発達に伴う山林の荒廃が指摘されています。江戸時代後期になると、笛吹川とその支流が通る盆地東部の峡東地方では、養蚕業が盛んになり、繭を煮るための木材の需要が高まりました。

さらに明治になってからは蒸気機関等の燃料としても木材需要が拡大し、木材の乱伐が進んだ結果、山林の荒廃が進み、森の保水力が著しく低下してしまいました。これが水害を引き起こした原因と考えられています。

山梨の水害多発の原因をオランダ人技術者が考察

歴史を振り返れば、甲斐国では古くから水害に悩まされていました。武田信玄は、釜無川と御勅使川の合流地点に約20年の歳月をかけて「信玄堤」と呼ばれる堤防を築き、川を治める工事を行いました。

また、笛吹川も大雨が降ると支流河川の影響を受け水害が多発する地域だったため、「万力林」と呼ばれる水防林を造り、下流の村々を守ってきました

近代に入ると1883(明治16)年には、オランダ人技術者・ローウェンホルスト・ムルデルが現地調査を行っています。ムルデルは、1879(明治12)年に水害対策や水運を目的とした河川改修の指導のため政府から招かれて来日し、桂川流域の河岸崩壊や北巨摩郡の大武川の大崩壊の原因を考察しました。

その結果、森林の伐採や、大武川においては石灰の過剰採石、斜面の開削などの諸点が水害多発の原因と判断しています。このムルデルの調査は、その後の富士川直轄改修など、県の治水事業の契機にもなりました。

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Part.1 地図で読み解く山梨の大地

・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」

…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網

・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号

…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間

・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”

…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。

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