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身延線の歴史

富士身延鉄道は1913(大正2)年7月、まず富士駅~大宮町駅(現在の富士宮駅)間が開業し、以後順次延伸されました。

1928(昭和3)年3月に全通しましたが、1938(昭和13)年10月に当時の鉄道省に借り上げられ、1941(昭和16)年5月に正式に国有化。私鉄としての歴史を閉じています。実は、国有化は富士身延鉄道にとっての悲願でした。

身延線の私鉄時代

富士身延鉄道の建設は富士川東岸の山沿いを進むルートで行われましたが、地形と地盤の悪さや、トンネルや橋梁が多いことで工事は非常に難航し、加えて第一次世界大戦による物価高騰買収予定地の地価高騰、水害の発生等にも悩まされました。

1920(大正9)年5月、当初の目標から3年近く遅れて身延駅まで開業しましたが、このときの富士駅~身延駅間43.3㎞(当時)の運賃は2円88銭。当時富士駅~東京駅間157.9㎞(御殿場駅経由)の国鉄3等運賃は2円13銭でしたから非常に高額で、「日本一高い」ともいわれました。工事の難航で建設費用が大きく膨らんだことを、運賃に反映させざるを得なかったのです。

ですが、この高額運賃が利用客を遠ざけ、同社の経営は赤字続きとなりました。石炭価格の高騰による経費増への対策もあって、富士身延鉄道は1926(大正15)年から電化工事を進め、富士駅~甲府駅間は全線電化の鉄道として開業しました。ですが、全線開業後も旅客、貨物ともに業績は好転せず、電化に巨費を投じたこともあって同社の経営状況はさらに悪化していきました。

身延線の国有化を切望する声が高まる

こうした状況から、富士身延鉄道の周辺では、高額運賃による業績低迷を打開するためには国有化が必要との声が絶えず、1932(昭和7)年には山梨・静岡両県の経済界の人々によって、「富士身延鉄道国営期成同盟会」が結成されるなど、国有化に向けた運動が盛んになっていきました。

そして、関係者の悲願が叶い、富士身延鉄道は鉄道省借り上げを経て、1941(昭和16)年、買収費1960万円で国に移管されたのです。

身延線の国有化後から現代まで

国鉄線となり、さらにJR東海の路線となっても、古い地方私鉄の規格で建設された身延線には、当時から残る急カーブや狭小断面のトンネルが多くなっています。

国鉄時代の身延線にはパンタグラフ部分の屋根を低くした専用の電車が投入されていましたが、現在もJR東海のすべての在来線用電車は、身延線の狭小断面トンネルを通れるように設計・製造されています。

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Part.1 地図で読み解く山梨の大地

・山の都として栄えた甲府盆地はどのようにできたのか?
・富士五湖は富士山の溶岩でせき止められた2つの湖だった!?
・日本一の造形美をつくり出す昇仙峡は何でできている?
・3000年に“2度”の大噴火が生み出した青木ヶ原の樹海
・もうひとつの富士「黒富士」にある燕岩の正体
・富士山文化遺産の構成資産、山梨にある2つの「胎内めぐり」
・「池」だけど「八海」!神秘の風景・忍野八海
・日照時間日本一の秘密は地形にあり!?
・富士川の洪水を防いだ「信玄堤」と「万力林」

…などなど山梨のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 山梨を駆け抜ける鉄道網

・甲州市から山梨市にかけて、中央本線が北に大きく迂回するわけ
・高額運賃の私鉄が国有化の悲願を果たし、現在に至る身延線
・昭和モダンの香りを漂わせ、今も現役の山梨の駅舎たち
・ここは東京?ちょっと意外な丹波山村の公共交通事情
・甲府盆地を走り、「ボロ電」と呼ばれた山梨交通電車線
・実は2つの路線から成り立っている富士急行線
・約2年間だけ標高日本一の駅があった、小海線の山梨県内区間
・6つのスイッチバック駅に助けられ、甲斐路を辿った中央本線
・リニアモーターカーの実験線が山梨にできたわけ
・古くからの富士山吉田口登山道を継承する山梨県道701号

…などなど山梨ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 山梨で動いた歴史の瞬間

・古代 いにしえの八ヶ岳周辺は“星降る里”だった!?
・古代 甲斐銚子塚古墳が東日本最大級なワケ
・平安~中世 武田氏の先祖にあたる戦国エリート「甲斐源氏」
・中世(鎌倉) 日蓮聖人の波乱に満ちた生涯と身延山
・戦国時代 山梨の神!武田氏3代が鎮座した武田神社
・戦国時代 信玄が進み勝頼が広げた武田氏の最大領地は?
・江戸時代 徳川家康に対抗するために築城された甲府城
・江戸時代 幕府直轄地で発展した甲州街道と富士川舟運
・近現代 幕末の財界を牛耳った甲州商人が売ったもの
・近現代 明治40年の甲府の大水害からの復興
・近現代 空港のない山梨県にあった秘密の飛行場“ロタコ”

…などなど、激動の山梨の歴史に興味を惹きつける。

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