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新潟の遺跡からみる古代の役割と生活~玉作や稲作などの弥生文化が流入し集落間での争いも増加 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

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新潟の遺跡からみる古代の役割と生活~玉作や稲作などの弥生文化が流入し集落間での争いも増加

古代の新潟県域はヒスイの産地でありました。信濃川流域の古代集落では、これらの原石を用い、装身具や呪具としてさまざまな玉類が製作されていました。

【新潟の遺跡:縄文時代】玉づくり集落の痕跡が残る

古代の新潟県域では、勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)といった玉類の製作が盛んでした。原石に用いられたのは新潟県産のヒスイで、とりわけ国内における硬玉(こうぎょく)(ヒスイの一種)の露頭産地は糸魚川(いといがわ)と青海川(おうみがわ)上流の2カ所のみ。その周辺地域では、縄文時代から硬玉を原材料とした玉類が多くつくられてきました。
糸魚川市の寺地(てらじ)遺跡長者ヶ原(ちょうじゃがはら)遺跡などがその代表例で、これらの遺跡からは勾玉や小玉が出土しているだけでなく、未成形のヒスイ類も多量に見つかっています。このことから、これらの集落遺跡は玉類を製作していた「玉つくりのムラ」であったと考えられています。
また、信濃川流域の遺跡でも玉つくりが行われていました。馬高(うまたか)遺跡三十稲場(さんじゅういなば)遺跡からもヒスイ製の玉類がみつかっています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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