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コシャマインの戦いの背景②:三守護体制の完成と強化される和人による支配体制

しかし、15世紀に入って台頭してきた陸奥の南部氏に十三湊を奪われて、安東氏は夷嶋(えぞがしま)(北海道)へ撤退し、のちに断絶します。

1454(享徳3)年、捕虜として生き残っていた安東政季(まさすえ)は配下(武田信広、相原政胤(まさたね)、河野政通など)をともなって北海道に渡り、12の拠点(道南十二館(どうなんじゅうにたて))を設けました。そして、渡島半島南部を「松前」「上之国(かみのくに)(松前以西~上ノ国)」「下之国(しものくに)(松前以東~函館)」の3地域に分割し、それぞれに守護と副守護を置きました。これを「三守護体制」といいます。

三守護体制は1456(康正2)年までには構築され、安東氏は道南での和人(わじん)による支配体制を強化していきましたが、それはアイヌの反発を招くことになったのです。

三守護体制

三守護体制
『北海道の歴史』(山川出版社、2015年)を元に作成

南部氏によってほぼ滅ぼされた安東氏が、復権を狙って始めた三守護体制。渡島半島の有力者と臣従関係を結び、3地域に分けて支配しました。

コシャマインの戦いの背景③:アイヌと和人の間で起こった殺人事件が蜂起の発端に

こうした情勢下で、アイヌの男性(少年とも)が志濃里(しのり)(函館市)の鍛冶屋にマキリ(小刀)を注文したところ、品質と価格をめぐってトラブルが勃発。結果、和人の鍛冶屋がアイヌ人男性を刺殺する事件に発展しました。

これを機に、それまで鬱積していたアイヌの和人に対する不満が爆発し、渡島半島東部のアイヌが武装蜂起したのです。

コシャマインの戦いとアイヌ勢の快進撃

さらに1457(長禄元)年5月14日、渡島東部の首長コシャマインが挙兵し、アイヌの蜂起はさらに勢いを増します。コシャマイン率いるアイヌ勢は、もっとも繁栄した和人の勢力地(函館・松前地方)を標的として進軍し、安東氏の道南十二館を次々と襲撃していきました。

志濃里館、箱館、中野館、脇本館、穏内館(おんないだて)、覃部館(およべたて)、大館(おおだて)、祢保田館(ねぼただて)、原口館、比石館(ひいしだて)の10館を攻略し、あとは茂別館(もべつたて)と花沢館を残すのみというところまで和人を追い詰めたのです。

コシャマインの戦いの終結

花沢館には蠣崎季繁(かきざきすえしげ)が配され、武田信広が客将(かくしょう)として身を寄せていました。武田信広は敗走してきた和人たちを糾合し、1458(長禄2)年に七重浜(ななえはま)(北斗市)でアイヌ勢を迎え撃つ態制を整えました。

いったん退却するそぶりを見せ、アイヌ勢を懐深くまで招き入れた武田信広は、強弓でコシャマインを射殺。総大将を失ったアイヌ勢は瓦解し、戦いは終結したのでした。

コシャマインの戦いその後①:蝦夷地の支配権は蠣崎氏へ

アイヌ勢の鎮圧で手柄を立てた武田信広は、蠣崎氏の養女を娶(めと)って蠣崎の家督を継承します。信広は花沢館の西に勝山館(上ノ国町)を建設し、そこを政治・軍事・交易の中心地としました。

かくして蝦夷地の実質的な支配権は、安東氏から蠣崎氏へと移っていったのです。なお、蠣崎氏はのちに松前へと移住し、やがて江戸時代の松前藩の祖となります。

勝山館の繁栄

勝山館(檜山(ひやま)郡上ノ国町)は曲輪(くるわ) や土塁(どるい)、空堀(からぼり)などを備えた中世山城で、武士階級だけでなく、職人や漁民などさまざまな階層の人々の住居跡が見つかっています。10万点に及ぶ遺物には陶磁器の数が多く、中国産の青磁や白磁、国産の美濃焼、越前焼などさまざまな種類が含まれていました。

なお、アイヌの使用していた骨角器や人骨も見つかっていることから、勝山館ではアイヌと和人が混在して暮らしていた可能性が示唆されています。

コシャマインの戦いその後②:アイヌ勢の蜂起が続く

コシャマインの戦いでは、和人の専横に反発したアイヌが存在感を示しましたが、結果としては和人による蝦夷支配の強化が進められる事態を招いてしまいました。

この戦い以降、ショヤ・コウジ兄弟、タナサカシ、タリコナなどの首長による蜂起が相次ぎ、さらにはシャクシャインの戦いクナシリ・メナシの戦いへとつながっていきます。和人とアイヌの対立関係は、およそ1世紀にわたって続くことになるのです。

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