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村上海賊が瀬戸内海で活躍し海上交通の安全を保障していた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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村上海賊が瀬戸内海で活躍し海上交通の安全を保障していた

古くから交通の要衝として栄えた瀬戸内海。村上(むらかみ)海賊は航行する船から通行料を徴収し、その対価として海上の安全を保障する関所のような役割を担っていました。

村上海賊とはどのような集団だったのか?

村上海賊は、芸予(げいよ)諸島を拠点として活躍した集団です。能島(のしま)を拠点とする能島村上氏、来島(くるしま)を拠点とする来島村上氏、因島(いんのしま)を拠点とする因島村上氏がおり、この3氏が村上海賊と呼ばれています

3氏の中で最も早く史料に登場するのが、能島村上氏です。『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』によると1349(貞和5)年、弓削島庄(現在の越智郡上島町)の荘園領主である東寺が幕府の使者を迎えるにあたり、「能島に酒肴料三貫文を支払った」と記述されています。これは、東寺が能島村上氏に警固を依頼し、警固料として三貫文を支払ったということです。南北朝時代には能島村上氏が瀬戸内海である程度の水軍力を保持し、警固活動を生業としていたことをこの史料から読み解くことができます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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