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屯田兵と陸軍第七師団が築いた旭川発展の礎

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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屯田兵と陸軍第七師団が築いた旭川発展の礎

内地から入植した屯田兵は、開拓だけでなく軍事的にも活躍。
やがて彼らを中心に陸軍第七師団が編成され、師団が置かれた旭川は軍都として栄えます。

屯田兵と北海道の人口増加

北海道の人口は、箱館戦争が終結した直後の1869(明治2)年には5万8千人程度でした。開拓使の廃止後、北海道庁が設置された1886(明治19)年には人口30万人を突破し、1890(明治23)年には42万7千人に到達します。

この人口急増の原動力となったのが、1874(明治7)年に導入された屯田兵(とんでんへい)でした。

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