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横山大観(よこやまたいかん)

明治-昭和初期に活躍した茨城県水戸出身の日本画家。明治29年東京美術学校助教授となるが、同31年校長の岡倉天心らと辞職。日本美術院に参加し、近代日本画の中心作家として活躍した。

菱田春草(ひしだしゅんそう)

明治時代に活躍した長野県出身の日本画家。結城(ゆうき)正明、岡倉天心、橋本雅邦(がほう)らを師とする。のち岡倉天心らの日本美術院創立に参加し。横山大観らとともに日本画の革新につとめたが、持病の腎臓炎を患い、38歳の若さで死去。

下村観山(しもむらかんざん)

明治から昭和にかけて活躍した和歌山県出身の日本画家。
狩野芳崖、橋本雅邦に師事。東京美術学校(東京芸大)を卒業と同時に同校助教授となるが、美術学校騒動により岡倉天心とともに辞職し日本美術院創設に加わる。横山大観らともに主導的役割を果たす。

タゴール

カルカッタの名門の出身で思想家・文学者。インドの伝統的教育を受けるとともに、イギリスで法律を学ぶ。帰国後、ベンガル語で多数の詩・戯曲・小説を創作し、評論・音楽・教育・絵画など、おもに民族主義を高揚し活躍した。代表的な詩集『ギーターンジャリ』で1913年にアジア人として最初にノーベル文学賞を受賞。インドの国歌、パキスタン国家も作詞した。

ジャン・F・ミレー(ジャン・フランソワ・ミレー)

19世紀に活躍したバルビゾン派の代表ともいえるフランスの画家。『種まく人』や『落穂拾い』など農民の日常作業を描き評価を得るも、政治的メッセージととる思想家たちの間では常に論争の的となる。『羊飼いの少女』の高評価以降はパステル画が中心の作風となり、巨匠の名を確立した。

吉田勘兵衛(よしだかんべえ)

江戸初期の新田開発者。摂津国能勢郡倉垣村(現在の大阪府能勢町)に生まれ、寛永11(1634)年に江戸へ出て木材石材商を営む。急成長を遂げる江戸では各所で土木工事が行われており、勘兵衛はここで成功を収める。
また現横浜に位置する「吉田新田」の開拓者としても知られており、江戸時代初期は釣鐘形の入り海だった現在の横浜市伊勢佐木町付近を幕府の許可を得て干拓し、116ha余の新田を開拓した。

屯田兵(とんでんへい)

明治維新後、旧幕府側の武士たちの経済的救済と北海道の開拓、北方警備を担うために、明治政府によって北海道各地に計画的に配備されて移り住んだ人々。当初は旧武士に限定されていた募集であったが、のちに族籍に関係なく、平民でも応募ができるようになった。

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