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明暦の大火・第二の火の手で江戸城の本丸と天守閣も焼失

しかし火事は、これでおさまりませんでした。19日の午前10時頃、小石川・伝通院表門下の屋敷から出火、北風にあおられて各所に飛火、御茶ノ水の吉祥寺、小石川の水戸藩邸、飯田橋、前日の火事で焼け残った神田一帯、堀を越えて城郭内の大名屋敷から江戸城内に延焼が広がり、本丸と天守閣が焼け落ちました。

二の丸、三の丸も焼失し、西の丸だけが残りました。飯田橋、市谷、番町の旗本屋敷や江戸城周辺の大名屋敷、京橋などの町家も焼けました。

明暦の大火・第三の火の手が延焼後ようやく鎮火

さらに、同日第三の火の手が麹町の町家から出火、江戸城際まで延焼し、堀端に沿って南下、山王権現、外桜田一帯の大名・旗本屋敷、大名小路から日比谷、愛宕下、芝方面に延び増上寺の一部を焼き海岸でようやく鎮火。

特に隅田川に橋がなかったため逃げ場がなく大勢の死者を出すことになり、丸2日間の大火は江戸の6割以上を焼失させ、10万人以上の焼失者がでました。

明暦大火による壊滅範囲

明暦大火による壊滅範囲
出典:刀剣ワールド財団(東建コーポレション)の図を元に作成

乾燥した北西の季節風にあおられて火災が広がりました。大火後、火除け空地などがつくられ、各地に堀割をつくって消火用、避難用にしました。

明暦の大火後の復興にあたった保科正之

時の4代将軍・家綱はまだ17歳。幕府は家臣の保科正之(ほしなまさゆき)(家光の異母弟)が陣頭指揮をとり復興にあたりました。応急措置として、被災の町民に対して米6000石を放出、市中に御救小屋を建て粥の配給などが行われ、市中に放置された遺体は大穴を掘って埋葬されました。

徳川家の菩提寺である増上寺に命じて寺を建てさせ無縁寺と呼ばれましたが、これは現在の両国にある回向院(えこういん)です。

明暦の大火後の復興にあたった保科正之

明暦の大火の犠牲者のためにお堂を建てたのが始まりとされる回向院

回向院

住所
東京都墨田区両国2丁目8-10
交通
JR総武線両国駅から徒歩3分
料金
無料

明暦の大火後の都市改造と江戸の発展

大火後、幕府は都市改造の諸施策を実行します。徳川御三家を城外に移転させ城内に火除地を設け、江戸城の外郭にあった寺社地を外堀の外側に分散移転させました。そして大火の防災として火除地を上野広小路、中橋広小路(現在の八重洲通り)に設け、武家屋敷、寺社地、町人地の移動に伴って、城の周辺部に新しい町が出現しました。

赤坂溜池の埋め立て、築地の開発、万治2(1659)年には両国橋が設置され、対岸との往き来が盛んになりました。

大火後の都市改造はその後の江戸の発展につながり、消防組織が整備され、再建のための大量の材木買付など経済活動が活発になったこともあげられます。駿河台を開削し放水路だった神田川の舟運が可能になったのは大火からなんと3年後でした。

明暦の大火の原因の一説として語り継がれる“振袖事件”

明暦の大火の原因には諸説あり、正確にはわかりませんが、通説として語られてきたのが振袖にまつわるもので、別名振袖火事ともいわれています。

その内容は、本妙寺には檀家の娘3人がいて、偶然にも同じ振袖を手にして亡くなったため、娘たちの供養のためその振袖を焼いたところ、乾いた強風にあおられて本堂に燃え広がったのが原因で、振袖火事といわれるようになります。

ただ、この話には絶対的な信憑性はなく、作り話と断定している人もいます。その理由として大火後も本妙寺は取り潰しにあわなかったことをあげます。原因は幕府による放火説など諸説あり、真実はわかりません。

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・昭島市はかつて海だった!? アキシマクジラ発見の衝撃
・御神火が生んだ島々、伊豆諸島の誕生と火山の関係
・実は立川市内にはない? 東京の活断層「立川断層」とは?
・玉川兄弟が江戸まで引いた ! 標高差わずか92mの玉川上水
・23区内は坂だらけ? 900以上の名前を持つ坂がある
・凸凹を考えて見てみるとおもしろい! スリバチ状の地形が点在する東京
・渋谷は谷が密集してできた街だった
・千鳥ヶ淵はダムだった !?
・荒川と隅田川に囲まれた低地はなぜできたのか? 海抜ゼロメートル地帯江東デルタ
・“荒ぶる川”荒川の流路付け替え
・地下の大宮殿!? 日原鍾乳洞
・火山活動で誕生した島々の進化の歴史 、小笠原諸島の成り立ち
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・日本の発展を支えた100年。帝都の玄関口、東京駅開業
・関東大震災以降、東京は郊外へと拡がった。田園調布の開発と私鉄の発展
・地下鉄は銀座線から始まった/東京地下迷宮! 幻のホームとは!?
・64年東京五輪のレガシー “夢の超特急”東海道新幹線開通!
・都電荒川線が唯一存続した理由
・新宿駅がビッグターミナルになるまで
・高尾山ケーブルカーは日本一の急勾配!?
・五街道の起点となった日本橋
・勝鬨橋は幻の万博のために作られた
・首都高速の誕生と未来/東京の交通網の未来予想図
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【見どころ】Part.3 東京で動いた歴史の瞬間

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・片田舎の武蔵野は関東随一の大国だった
・文武両道の才人、太田道灌が江戸城を築城
・八王子城の落城と戦国時代の終焉
・江戸幕府開府と家光で完成した大都市
・迫られる外交方針 ! 徳川家光が定めた「鎖国」体制
・江戸を襲った明暦の大火
・江戸を恐怖の底に陥れた安政の大地震
・徳川慶喜の思惑が外れた大政奉還
・中央集権国家の誕生へ ! 東京の誕生と廃藩置県
・大久保利通暗殺、紀尾井坂の変
・江戸本所生まれ、郷土の偉人 勝海舟の波乱の人生を追う
・関東大震災 被害と復興
・“玉砕の島”硫黄島の悲劇
・条件降伏と玉音放送
・東京裁判とスガモプリズン
・敗戦から19年目の東京五輪
・学生たちは何を求めて闘ったのか? 東大紛争と安田講堂事件
・三島由紀夫、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決
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【見どころ】Part.4 東京で生まれた産業・文化

・吉原遊廓は文化サロンの一面も!?
・大衆文化の頂点に立った江戸歌舞伎
・開国要求への抵抗!「お台場」の由来は幕末にあった
・西洋スタイルの銀座煉瓦街が誕生
・日本初の第一国立銀行は日本橋で誕生した
・一丁倫敦と呼ばれた丸の内 職人が手作業で組み立てた東京タワー
・神田から始まった日本の近代下水道モデル
・都営白鬚東アパートは巨大防火壁だった!
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