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断夫山古墳に埋葬されたのはヤマトタケルの妻だったお姫様!?

伝承では、断夫山古墳はミヤズヒメの墓とされています。ミヤズヒメは日本の創世神話に登場する乎止与命(おとよのみこと)(尾張国造(おわりのくにのみやつこ))の娘で、『古事記』では美夜受比売(みやずひめ)、『日本書紀』では宮簀媛(みやずひめ)と表記されます。

ヤマトタケルは東征の際にミヤズヒメを妻としましたが、東征の帰途に病で没し、白鳥になって飛び去っていきました。ミヤズヒメは夫(ヤマトタケル)への思いを抱いて死んでいったことから、彼女の墓が断夫山(夫を断つ山)と呼ばれるようになったといいます。

断夫山古墳は戦前まで熱田神宮の神域として厳重に管理されてきた

このため断夫山古墳は、かつては熱田大宮司家が宮簀媛墓として奉仕し、戦前は熱田神宮の所属地として管理されていました。1980(昭和55)年に愛知県の県有地となり、以降は古墳を含む周辺一帯が熱田神宮公園として整備されるようになりました。

このように、断夫山古墳は熱田神宮の神域として保護されてきた経緯から、これまで詳細な発掘調査は行われていません。古墳の地表調査は実施されており、そこで見つかった埴輪(はにわ)や須恵器(すえき)から「5世紀末から6世紀初頭にかけて造営された」と比定されているのです。

ちなみに、白鳥になったヤマトタケルが降り立った場所が、同じく熱田神宮公園内にある白鳥(しろとり)古墳(名古屋市熱田区)とされています。

熱田神宮と草薙剣

ヤマトタケルが白鳥になったあと、ミヤズヒメのもとには草薙剣(くさなぎのつるぎ)(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも)が残されました。ミヤズヒメは草薙剣を奉斎鎮守するために熱田神宮を建立したとされ、現在も熱田神宮の御神体として祀られています。

草薙剣は八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と並び「三種の神器」と称され、現在では皇位継承の際に草薙剣(の形代)が使用されます。2019(令和元)年5月11日に執り行われた「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」や、同年10月22日の「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」でも用いられました。

熱田神宮と草薙剣

熱田神宮

断夫山古墳に埋葬された可能性のあるもう一人の人物とは

なお、ヤマトタケルの東征(=ヤマト王権の東国侵攻)は、4世紀頃と想定されており、断夫山古墳の造営時期とはズレが生じてしまいます。そのため、断夫山古墳は尾張氏の首長の墳墓であるとする説もあります。

尾張氏は尾張南部に勢力を築いた古代の豪族であり、早くからヤマト王権に従い、その結果として尾張国造に任じられ、以降も尾張支配を許されました。

断夫山古墳の被葬者として有力視される尾張氏

その尾張氏の首長のなかでも断夫山古墳の被葬者として有力視されているのが尾張連草香(おわりのむらじくさか)です。

尾張連草香の娘の目子媛(めのこひめ)は継体天皇(けいたいてんのう)(26代)の妻となり、安閑(あんかん)天皇(27代)と宣化(せんか)天皇(28代)を生みました。つまり、尾張連草香は皇室の「外戚」にあたります。東海地方でも最大規模の前方後円墳を造営される被葬者としては、申し分のない格式といえるでしょう。

断夫山古墳がある熱田台地周辺には他の大規模古墳も存在

この断夫山古墳の周辺には、前述の白鳥古墳(前方後円墳)以外にも、熱田球場のあたりには北山(きたやま)古墳(前方後円墳)があったとされており、さらに北には高蔵(たかくら)古墳群(円墳)があります。熱田台地には首長の墓群が形成されていたと考えられています。

断夫山古墳周辺

断夫山古墳周辺

熱田台地南端にある熱田神宮の北側には、熱田神宮公園内に東海地方最大級の前方後円墳・断夫山古墳があるほか、白鳥古墳や北山古墳、高蔵古墳群と太古の首長墓群があります。

断夫山古墳の今後の調査に期待

長らく調査の手が入っていなかった断夫山古墳ですが、2019(令和元)年、名古屋市教育委員会と愛知県教育委員会は、年度中に初の発掘調査に乗り出す計画を発表。

成果は未発表ですが、これまで見当たらない堀や堤防も発見される可能性が高く、古代に尾張一帯を支配した巨大権力の実態が明かされることに期待がかかっています。

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