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目黒駅や五反田駅の周りを見てみる

今和泉:
次は目黒駅に注目してみましょう。

少年B:
品川駅は品川区じゃなくて港区で、目黒駅は目黒区じゃなくて品川区なんですよね。ややこしい。

今和泉:
そうそう。駅前を見ると、高層ビルはセントラルスクエアだけで、あとはそんなに高くないんです。大使館も意外と多いですよ。この前、港区の時に話題に出したコロンビア大使館は目黒にあります。

▲1968年(左)、2001年(中)、2021年(右)の目黒駅の変化

少年B:
ホントだ! セントラルスクエアは都バス営業所の跡地だったんですね。目黒も地下鉄が来たけど……地上は変わってないですねぇ。

今和泉:
駅ビル「サンメグロ」の名前がアトレに変わって、アトレ2ができて……ぐらいの変化ですね。

▲1968年(左)、2001年(中)、と20215年(右)の目黒駅〜五反田駅間の変化

今和泉:
駅から離れると、1968年の西五反田3丁目にあった中央卸売市場荏原市場が統合して大田に移転し、跡地は小学校とマンションになりました。

少年B:
大田市場には、今でも卸の「東京荏原青果株式会社」がありますもんね。そういうところで由来がわかるという。

今和泉:
その他にも、国鉄アパート→JRアパート→更地、東京電話料金局→NTT情報サービスセンター→NTTコムウェアと時代の変化が見て取れます。大日本印刷(DNP)はそのままですが、以前は工場だったものが、今はオフィスビルになっています。

▲1968年(左)と2021年(右)の五反田駅北側の変化周辺

今和泉:
五反田駅のほうに目を向けると、駅の北側は高級住宅街なんですよ。池田山と島津山とかのエリアですね。

少年B:
あれ、そんな地名ありましたっけ? 1968年の地図を見ても載ってませんが……。

今和泉:
町名としては載ってないんですが、現在の地図のマンション名には、この2つの山の名称がかなり採用されています。住所でいうと、池田山は東五反田5丁目、島津山が東五反田1丁目と3丁目にまたがるエリアです。池田山は備前岡山藩主池田家の大名下屋敷があったことからそう呼ばれています。

いっぽうの島津山は、明治期に島津家が仙台藩伊達家の下屋敷地を引き継いで「島津公爵邸」としたことが由来ですね。 その建物は1917年(大正6年)に建築されたイタリア・ルネサンス様式の洋館で、現在は清泉女子大学本館として使用されています。

少年B:
地名じゃないけど、昔からそう呼ばれてるエリアってことか~!

今和泉:
そういうことですね。島津山には島津山ヒルズもありますよ。

少年B:
五反田にも高級住宅街があるんですね。失礼ながらまったくイメージがありませんでした。五反田ヒルズしか知らなかった……!

今和泉:
むしろ、五反田ヒルズなんて建物があったんですね!? 私はそっちを知りませんでした。

五反田ってどうしても飲み屋のイメージが強いんですが、意外と高級住宅街もあるし、大使館もあるんですよ。大使館は山手線の内側に多いですね。

▲1968年(左)と1985年(右)の五反田駅南側の変化

今和泉:
南側に注目してみると、1968年に空き地だったところに、TOC(東京卸売センター)ができています。

少年B:
今もありますよね。

今和泉:
これはじつは星製薬工場の跡地なんです。TOCを運営する株式会社テーオーシーも、元は星製薬株式会社だったんですよ。

少年B:
星製薬って、SF作家の星新一のお父さんの会社ですよね!? 「人民は弱し官吏は強し」で読みましたよ。こんなところにあったんだ!

今和泉:
そうです、ご存知でしたか。星新一もテーオーシーの社長だった時期があるそうですよ。星製薬はなくなりましたが、星薬科大学は都道2号に沿って進んだ荏原2丁目に今もあります。

ちなみに、そのTOCは建て替えの予定があって、まもなく解体される予定です。2027年から2028年ごろに新しいビルが建つ計画です。

少年B:
千代田区の時みたいに、2代目のTOCになるんですかねぇ……。新ビルの名称がどうなるかも注目したいです。

海側の大きな変化

▲1968年(左)と1985年(右)の天王洲アイル駅周辺の変化

今和泉:
海側も見てみましょう。天王洲アイル駅がある中州は、じつは1968年からあるんですよね。

少年B:
さすがに当時は天王洲アイルとは言わなかったですよね?

今和泉:
さすがにアイルとは言いませんね。1751年(宝暦元年)ごろから天王洲と呼ばれていたようです。全体的に工場や倉庫がオフィスビルになっていますが、寺田倉庫は変わらずこの地区にはあり続けています。場所は少し変わっていますが。

少年B:
1968年の地図を見ると、野球場があったんですねぇ。今は天王洲公園になっています。用途自体はあんまり変わっていませんね。

今和泉:
向かいにある港湾局機械工場が都営住宅になっていますね。工場や倉庫が再開発によって商業施設や高層マンションになっていますが、まだ倉庫もちらほら残っています。

少年B:
海に近いこともあって、なんとなくみなとみらいっぽさがありますね。

今和泉:
運河を挟んでお隣の東品川1丁目を見てみると、1968年は品川練炭がありますね。この会社はシナネン(品川燃料)の工場で、のちにカナルサイドビルに変わりました。カナルサイドビルは今もありますが、2011年に日本GEが取得し、現在はシナネンの手を離れています。

少年B:
あまり地図には反映されないタイプの変化だ。

今和泉:
あとは、1968年に「埋立地」とだけ書かれていた場所に首都高が通り、新幹線の大井車両基地ができました。図中の鉄道の線が集合しているところです。1968年時点で東海道新幹線は開通済みでしたが、それからもう少し後にできたようです。

▲品川区八潮は1968年から1985年にかけて大きな変化があった。

少年B:
これはだいぶ大きな変化ですね。八潮5丁目はかなり栄えている感じがします。ニュータウンかな?

今和泉:
公団住宅が並んでいますね。1970〜80年代の郊外の団地っぽさがあるかな……。バスはあるんですが、駅から遠いのと、高速と運河に囲まれてるから、精神的にちょっと距離を感じる立地ですね。

少年B:
確かに、地図を見ると「公団」とか「公社」って文字が目立ちますね。そして八潮南中学校がなくなって老人ホームに、八潮南小学校がこみゅにてぃぷらざになってます。

▲2021年の八潮5丁目。学校の場所は変わってないが、名称が変わっている

今和泉:
八潮にあった3つの小学校と2つの中学校が合併して、中高一貫の八潮学園になったんですよ。建物は八潮小学校と八潮中学校の跡地です。八潮北小学校跡地は私立の特別支援学校明晴学園になっています。

少年B:
あ、八潮学園は私立じゃないんですね! そうか、公立小中学校の跡地にできていることに気付いてなかった。

今和泉:
小中一貫校は今は法改正によって義務教育学校となっていますね。学園というと私立のイメージが強いかもしれませんが、義務教育学校は公立でも学園と名付けられることが多いんですよ。

少年B:
そうだったんだ……。知らなかった。

▲品川シーサイド駅周辺の様子。イオンは元々専売公社だった

今和泉:
その八潮5丁目の最寄り駅になる品川シーサイドのあたりも見てみましょう。駅前にイオンがありますが、元は専売公社でした。その他、こちらも工場がオフィスビルやマンションに変わっているのが分かります。

少年B:
以前の連載では電電公社の建物が出てきましたが、今回は専売公社ですか……。専売公社って、我々の世代以下だと聞き馴染みがないですが、たばこを売ってた公社でしたっけ。

今和泉:
たばこと塩ですね。ちょうど我々が生まれた1985年に民営化され、JTになりました。

少年B:
おお、なるほど。そしてその南側に気になる文字を見つけてしまったんですが、中央公共職業補導所!? 何ですか、これは。

今和泉:
補導と言われると穏やかではないですが、調べてみたところ職業能力開発校の過去の名称のようですね。いわゆる職業訓練校です。

少年B:
なんだ、よかった。1985年の地図を見ると、高専と工業高校も同じ敷地にありますし、2021年には産業技術大学院大学になってますね。教育機関というくくりで見ると、土地の用途は変わってないのかな。

武蔵小山と西大井を見る

今和泉:
武蔵小山に目を移してみましょうか。大きな変化としては武蔵小山駅が地下化しましたね。

少年B:
武蔵小山は何度か行ったことがありますが、駅の近くに長い商店街があったような気がします。

▲1968年(左)と2021年(右)の武蔵小山駅周辺

今和泉:
2021年の地図には「武蔵小山商店街」と書いてある商店街で、パルムという名称もあります。長さは東京一だとか。

ほかにも武蔵小山駅の東側に小さな飲食店が集まる区画があったんですよ。2001年の地図を見ると、駅前の17〜20番地のあたり、道と道の間隔が狭いですが、このあたりです。

少年B:
なるほど。パークシティ武蔵小山 ザ モールができて、だいぶ変わりましたね。

1985年まではこんな駅前にも銭湯が残ってる。清水湯はいまも現役で人気の銭湯ですが、他にもあったんですね!

今和泉:
あと、目につく変化を追っていくと、1968年には丸安百貨店があります。

少年B:
聞いたことのない百貨店ですね。1985年以降は地図から消えてしまいましたが、Googleマップを見る限りだと、2009年以降はパチンコ・スロットのエンジェル本店になってるみたいです。

今和泉:
1985年は東急ストアの文字の下に大丸がありますね。

少年B:
大丸が武蔵小山にあったんですか!? ピーコックかな。

今和泉:
いえ、Bさんがイメージしてるのは東京駅にある大丸ですよね。あれは大阪発祥のお店で、この大丸は大井町発祥の別のお店なんです。

少年B:
大丸じゃないほうの大丸があったんですねぇ。2001年にはラオックスになってます。

今和泉:
この大丸は井門グループと名前を変え、ラオックスのフランチャイジーだった時代もあるそうですよ。現在は不動産業がメインのようです。

少年B:
その場所はいまダイソーになってますね。だいぶカジュアルになったなぁ。

▲1968年(左)と2021年(右)の西大井駅周辺

今和泉:
最後に、西大井に行きましょうか。西大井は軍事産業で栄えた街で、1968年の地図を見ると、日本工学K・Kと三菱重工がありますね。日本工学K・Kは現在のニコンです。

少年B:
そんな名前だったんですね。知らなかった。

今和泉:
かつては光学兵器を作る会社だったんですよ。望遠鏡とか測距儀とか、軍隊に必要な機器を作ってたんですが、戦後その需要が一気になくなります。それでカメラを作り始めるという。

少年B:
そういうところから出発してのカメラなんですね、なるほど。ニコンの前の道、今でも「光学通り」って言いますもんね。これも旧社名が残ってるのかな。

そして地図を見てみると、1985年までは西大井駅はなかったんですね。意外と新しいんだ!

今和泉:
西大井駅は1986年開業なんですよね。我々のひとつ年下です。1985年の地図には再開発区域が書いてありますが、そこがちょうど駅前ですね。

少年B:
工事をしている様子が地図にも残ってるという。

今和泉:
それと同時に、三菱重工の工場が西大井広場公園になりました。

少年B:
ニコンの工場も2021年にはなくなってますね。

今和泉:
ところが、ここに新しい本社ビルを建設中なんです。いまは品川インターシティに本社があるんですが、2024年には100年以上を過ごしたこの地に帰ってくることになってるんですよ。

少年B:
へぇ~、それはアツい! 完成が楽しみですね!

意外性のある品川区の変化

住宅地や商業地域として人気の街が多い品川区。あまり強いイメージがないかもしれませんが、「何もない」と自らネタにしている大崎は大きな変化が起こっていたり、住宅街のイメージが強い西大井は軍事産業で栄えた街でした。

ほかにも、密かに高級住宅街が集まる五反田や、工場・倉庫街からマンション・オフィス街に姿を大きく変えた天王洲アイルや品川シーサイドなど。今和泉さんのお話をうかがってみると、じつは非常に味わい深く、おもしろい区なんだなという印象を受けました。

今和泉さんの地図話はまだまだ続きます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

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