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渋沢栄一が越えた峠は?藍を買い付けにどの峠を越えて信州へ行ったのか?

昭文社_地図編集部_sato

更新日:2021年3月29日

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渋沢栄一が越えた峠は?藍を買い付けにどの峠を越えて信州へ行ったのか?

今話題の大河ドラマでは渋沢栄一が主人公として描かれています。渋沢栄一といえば多くの会社を立ち上げ、近代日本経済の基礎を作った人物です。また、新しく刷新される1万円紙幣のデザインにも選ばれており、私たちが新しいお札として渋沢栄一がデザインされた1万円札を手にする日もそう遠くはないことでしょう。

さて、大河ドラマでは市郎右衛門と栄一の渋沢親子が藍染め用の藍を買い付けに信州まで行くシーンが度々描かれています。また、渋沢栄一が一人で買い付けに行ったシーンもあります。このシーンを見て思ったことが『渋沢親子はどの峠を越えて信州へ藍を買い付けに行ったのだろう』でした。彼らはどの峠を越えたのか?気になってしかたありません。そこで、渋沢栄一が残した記述をもとに信州へ行くために越えたであろう峠について調べてみました。

決して楽な道のりではなかった信州への道

彼らが住んでいた武蔵国血洗島村は現在の埼玉県深谷市血洗島になります。信州は今の長野県です。彼らの住んでいた埼玉県深谷市血洗島から長野県へ向かい、最短距離にある長野県の町までは直線距離で約70㎞。道中には標高1000m前後の峠が立ちはだかり、これらの峠を越えて行かなければ信州へは辿り着けません。当時の交通事情も考えれば決して楽な道のりではなかったはずです。

渋沢栄一が信州へ行く道を予測してみた!

渋沢栄一の住んでいた深谷市血洗島から信州へアクセスできる道はいくつかありますが、まずは栄一が信州のどこへ藍を買い付けに行ったかのかを知ることがルートを予測するための手がかりになります。そこで、資料から探してみると岩村田藩領丸子依田地域や上丸子村へ行ったとあります。これらの地域は現在の長野県上田市上丸子にあたります。

この地域の街道で最初に考えられるのが「中山道」です。渋沢栄一の住んでいた血洗島は中山道に近く、中山道を使って高崎や安中を経由して碓氷峠(現在の旧碓氷峠)を越えて行けば丸子依田地域や上丸子村にたどり着くことができます。

道も整備されており、安全かつ気候に左右されることが少なく、安定した旅程を組むことができるでしょう。しかし、中山道は今でいうところの高速道路。人馬の継ぎ送り制度など荷を運ぶにもいろいろとお金がかかったことと思われます。商売上手の渋沢栄一のこと、中山道を使ったのかはちょっと疑問です。そのため今回の予測では外すことにしました。

信州上丸子へ向かう道を現在の地図を眺めて予測してみる

【ルート1】
〇秩父から志賀坂峠、十石峠を越えて信州へ行く道(約140㎞)

血洗島から秩父往還を秩父市を経由して志賀坂峠(しがさかとうげ)を越えて武州街道へ。さらに十石峠を越え、佐久市より上丸子へ至る道

【ルート2】
〇武州街道で十石峠を越えて信州へ行く道(約130㎞)

血洗島から埼玉県本庄市児玉や藤岡市鬼石を経由して武州街道で十石峠を越え、佐久市より上丸子へ至る道

【ルート3】
〇信州街道(富岡街道)で内山峠を越えて信州へ行く道(約120㎞)

血洗島群馬県藤岡市や富岡市を経由する信州街道(富岡街道)で内山峠を越えて佐久市より上丸子へ至る道

信州上丸子へ向かう道を現在の地図を眺めて予測してみる

血洗島から上丸子までの3つのルート図

(地図:卓上版日本全図)

現在の地図からそれぞれのルートを検証してみる

3つのルートについて現在の地図からそれぞれ検証してみました。

【ルート1】秩父経由で志賀坂峠、十石峠を越えて信州へ行く道

遠回りをするルートですが、渋沢家の得意先には秩父地方もあり、若かりしころの渋沢栄一は秩父へ行き来していました。そのため秩父周辺の道に詳しく秩父を経由して信州へ行った可能性は大いにあります。しかし、道中には大きな峠が2つあり、信州と往復することを考えれば現実的ではないように思えます。

【ルート2】武州街道で十石峠を越えて信州へ行く道

秩父を経由した道よりも距離は短く、峠は十石峠のみのため秩父を経由するよりは現実的なルートに思えます。十石峠は地名由来とされる「1日に10石の米」を運んでいたことや「十石馬子唄」などから古くから人馬の往来があった峠です。しかし、十石峠の標高は1351mと高く、現在でも酷道といわれており、決して整備状況が良いとはいえない峠道でもあるため常時通る道であったとは考えにくいのではないでしょうか。

【ルート3】信州街道(富岡街道)で内山峠を越えて信州へ行く道

距離は一番短く、道中には藤岡、吉井、富岡、岩村田といった比較的大きな町もあり、道路状況も良かったと思われます。また、内山峠の標高は940m。現在の内山峠を見ると群馬県側はつづら折りが続きますが、長野県側は比較的緩やかな勾配となっている片峠になっています。条件だけ見るとこのルートを行き来していたと考えるのが一番良さそうです。現在でも信州へ抜けるルートとしては一番走りやすい道となっています。

上州から信州へ抜ける峠は9つあった!?

3つの峠を検証しましたがどれも確証には至りません。他に有力な峠はないのか。そんな疑問の中調べてみると、実は上州から信州へ抜ける峠は9つあることがわかりました。

その中でも渋沢栄一伝記資料「雨夜譚会談話筆記」を読み解くと主な峠は5つ。北から「碓氷峠」「香坂峠」「志賀峠」「内山峠」「戸沢峠」です。

このうち、香坂峠、志賀峠、戸沢峠3つの峠については道路地図にも国土地理院にも記載がありません。この3つの峠はどこにあるのでしょうか。

上州から信州へ抜ける峠は9つあった!?

「碓氷峠」と「内山峠」は地図上に記載されている他の峠もこの近くにあったと思われる

(地図:地方図関東)

3つの峠を探してみる

場所の判らない3つの峠。その謎を解く鍵は国土地理院 1915年(大正4年) 5万地形図「御代田」大日本帝國陸地測量部にありました。

地図には現在の矢川峠とあるところに「香坂峠」が、志賀峠という記載はないものの物見山の北に「志賀越」という文字が見られます。峠の順番からすると戸沢峠は星尾峠かもしれません。神津牧場の位置と照らし合わせてみても位置的には正しいようです。これで峠の場所が確認できました。

3つの峠を探してみる

国土地理院 1915年(大正4年) 5万地形図「御代田」大日本帝國陸地測量部

3つの峠を探してみる

峠付近の拡大図(中央上付近に「香坂峠」物見山の北に「志賀越」が見てとれる

国土地理院 1915年(大正4年) 5万地形図「御代田」大日本帝國陸地測量部

 

3つの峠を探してみる

現在の地図に当てはめてみると峠の位置が判明!

(地図:ライトマップル群馬県道路地図)

渋沢栄一はどの峠を越えていったのか?

渋沢栄一伝記資料「雨夜譚会談話筆記」には峠を越えた記述が残されています。要約すると21か22歳のころに雪の中を香坂峠を越えて信州へ向かう際、峠を越えた先で吹雪で道に迷ってしまい、遭難しかけたものの何とか信州側にある香坂集落の手前にある老夫婦の家に泊まったとあります。

この記述と1915年に発行された地図をもとに、今の地図と照らし合わせてみると群馬県側は県道43号線沿いにある下仁田町初鳥屋から峠道を通り、矢川峠を越えて長野県側は県道138号線佐久市香坂へ下りた形になります。そのため現在の矢川峠(香坂峠)を越えたというのが有力なのではないでしょうか。

渋沢栄一はどの峠を越えていったのか?

初鳥屋から矢川峠を越えて香坂へ

(地図:ライトマップル群馬県道路地図)

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