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倉敷美観地区の歴史~戦前までの建物が約9割!?地元に愛され発展した地区の今昔

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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倉敷美観地区の歴史~戦前までの建物が約9割!?地元に愛され発展した地区の今昔

一歩足を踏み入れると、まるでタイムスリップしたようなレトロモダンな景観が広がる倉敷美観(くらしきびかん)地区。歴史と現代が調和し、発展を続ける地区の昔今を顧みてみましょう。

倉敷の歴史は「天領」となったことによりはじまる

倉敷は1642(寛永19)年に幕府直轄地「天領」となり、周辺一帯の政治の中心地として、また備中南部への物資の集散地として栄えました。今も同じ場所に流れる倉敷川は、当時運河として利用されており、川沿いには商人たちの蔵やその富を誇るような豪壮な屋敷が並んでいました。

倉敷の歴史に欠かせない繊維産業の発展と倉敷紡績所の創設

明治時代になると、西洋の技術を取り入れた繊維産業が大きく発展。外国産の綿糸に対抗しようと、政府が民間紡績業の育成を奨励したこともあり、国内最初の民間紡績所である下村紡績や玉島紡績が現在の倉敷市で開業しました。1889(明治22)年には、代官所跡地に倉敷紡績所(現クラボウ)が創設。工場には当時のイギリス式の最新機械や設備を備えていました。

倉敷紡績の二代目社長だった大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)は、紡績業で得た多くの財産を、倉敷の文化事業や社会事業に還元。大原美術館をはじめとし、郵便局や銀行など、多くの洋風建築が大正から昭和にかけて建てられました。

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>>倉敷美観地区の歴史は「倉敷市伝統美観保存条例」の制定によってはじまる…

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