フリーワード検索

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 長崎県 >

潜伏キリシタンの信仰の工夫!異教徒に紛れ島や仏像を拝んでいた!? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年4月21日

この記事をシェアしよう!

潜伏キリシタンの信仰の工夫!異教徒に紛れ島や仏像を拝んでいた!?

禁教政策が敷かれた江戸時代、度重なる弾圧にもかかわらず、密かに信仰を続けた潜伏キリシタン。
その誕生の経緯と信仰のために編み出した独自の様式を解き明かします。

潜伏キリシタン誕生の経緯

慶長18(1614)年、江戸幕府は全国的な禁教令を発布し、宣教師を国外追放します。しかし、なかには国内に潜伏したり、追放後に密入国したりして布教活動を続ける者がいました。

そこで幕府は、潜伏する宣教師を密告した者に褒賞を与え、宣教師を捕らえると、かくまっていた者も含めて処刑しました。元和8(1622)年には、日本のキリスト教弾圧で最大規模の「元和の大殉教」が発生。司祭やかくまった日本人信徒ら計55人が、火刑と斬首によって処刑されます。

島原の乱をきっかけに確立された鎖国体制

当初、密告の対象は宣教師だけで、長崎でも一部を除いて信仰は規制されませんでした。ところが寛永3(1626)年に長崎奉行に着任した水野守信と、同6(1629)年に後任となる竹中重義が、残忍な拷問で禁教を徹底し、ほとんどの信徒が棄教か殉教してしまいます。

そして寛永14(1637)年に起きた「島原・天草一揆」をきっかけに、幕府はポルトガル船の来航を禁止し、鎖国体制を確立。同21(1644)年には最後の宣教師が殉教し、日本から宣教師がいなくなりました。

潜伏キリシタンとは

それでも幕府は、島原・天草一揆のように棄教から立ち戻ったキリシタンが抵抗することを懸念し、絵踏みや五人組制、寺請制と宗門改帳などで取り締まりを強化します。そのため表向きは仏教徒として振る舞いながら、密かに信仰を続けた人々を「潜伏キリシタン」といいます。

日本人信徒は禁教令前から信仰共同体を作っており、潜伏組織はそれをもとに形成されます。教会暦をつかさどる「帳方(ちょうかた)」、宣教師に代わって洗礼を授ける「水方(みずかた)」、水方を経由して伝えられる帳方の伝達事項を各戸に伝える「聞役(ききやく)」など、それぞれに役割がありました。こうして潜伏キリシタンは、その崇拝や儀礼を仏教や神道に偽装し、信仰を守っていきました

なお、明治6(1873)年の解禁後も、潜伏キリシタンの一部に独自の信仰を貫き続けた人々がいました。彼らは「カクレキリシタン」と呼ばれ、学術的には潜伏キリシタンと区別されます。

潜伏キリシタンの多様な信仰様式

潜伏キリシタンは、集落ごとに多様な信仰様式を持っていました。例えば外海(そとめ)地区の出津(しつ)集落は、「聖ミカエル」などの聖画像を隠し持ち、密かにあがめました。また同地区の大野集落では、表向きは神社の氏子を装い、集落内の神社に信仰対象を祀って崇拝しました。平戸の春日集落では、キリスト教伝来前から山岳信仰の場であった安満岳や禁教初期にキリシタンが処刑された中江ノ島を聖地として、重要な儀式を行っていました。

潜伏キリシタンの新たな集落形成

18世紀末には外海の人口が増加したため、多くの潜伏キリシタンが黒島や頭ヶ島(かしらがしま)など五島列島に移住し、新たな集落を形成します。そこでも仏教徒を装い、観音菩薩像を聖母マリアに見立てた「マリア観音」などに祈りを捧げ、信仰を守りました。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

潜伏キリシタンは信仰上の理由で産児制限しなかったため、18世紀後半に外海地区の人口が増加。五島藩と大村藩が協定を結んで五島列島への開拓移住が行われました。移住者には多くのキリシタンが含まれ、各島に新たな潜伏キリシタン集落が形成されることになります。

潜伏キリシタンの遺産が世界文化遺産に

2018年、これらの潜伏キリシタンの遺産は、世界文化遺産に登録。250年にわたって密かに続けられた彼らの祈りが、世界中で知られることになります。

『長崎のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から長崎県を分析!
長崎県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。長崎の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く長崎の大地

・地殻変動と火山が生んだ唯一無二の景観! 海に囲まれ平地が少ない長崎の地形
・島の数971! 長崎は日本一の多島県
・火山活動が作ったダイナミックな地形! 島原半島ジオパークとは?
・長崎は江戸時代から埋立都市だった?
・「国境の島」対馬の特殊な生態系
・水中調査で解明! 横島沈没の謎
・国内初のティラノサウルス発掘! 長崎は白亜紀の化石の宝庫だった
・世界でも稀な西海市の七ツ釜鍾乳洞
・最先端をゆく五島の洋上風力発電

…など

Part.2 長崎に開かれた多彩な交通網

・初期の長崎本線は早岐経由だった
・新幹線開業に向け再開発中! 長崎駅の今昔
・新旧の車両が行き交う長崎電気軌道
・小島が国際空港に! 長崎空港は世界初の海上空港
・長崎が生んだ画期的な交通手段! 坂を上る日本初のエレベーターとは!?
・東洋一と称された西海橋の誕生
・進化を遂げた長崎街道の日見峠
・松浦鉄道には3つの日本一がある!?
・当時の面影が残る雲仙鉄道の廃線跡
・島原鉄道は奇跡のローカル線!?
・吉田初三郎が描いた 長崎の鳥瞰図

Part.3 長崎で動いた歴史の瞬間

・東アジアの一大交流拠点だった! 原の辻遺跡が語る古代の交易
・“神風”の謎が海底遺跡調査で判明!? 鷹島神崎遺跡から見る蒙古襲来
・ポルトガルが平戸で貿易を始めたワケ
・なぜ長崎は教会領になったのか
・町民が主役!? 特例だらけの貿易都市長崎の誕生
・ラクダを飼っていた!? オランダ人の出島生活の実態とは
・龍馬を襲った「いろは丸事件」の真実
・倒幕の裏には大村藩士の活躍があった
・人口約4000人の村が一変!? 寒村だった佐世保が大変貌したワケ

…など

Part.4 長崎で生まれた産業や文化

・印刷も写真も通信も長崎発祥!? 長崎は“日本初”を量産していた!
・世界遺産に登録された日本造船業の原点! 三菱長崎造船所のあゆみ
・細部まで技巧を凝らした圧巻の建築美! 数々の教会堂を手がけた鉄川与助とは
・テーマパークの枠に留まらない魅力に迫る! 進化するエコシティ ハウステンボス

『長崎のトリセツ』を購入するならこちら

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  九州・沖縄 > 長崎県 >

この記事に関連するタグ