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加賀温泉郷:山代温泉の歴史

山代温泉を開いたのは東大寺の大仏建立でも知られる行基(ぎょうき)で、こちらも開湯1300年の長い歴史をもちます。行基が白山へ修行に行く途中、一羽の八咫烏(やたがらす)が羽の傷を癒している水たまりを見つけましたが、それが山代温泉だったといいます。

烏が傷を癒していたように、山代温泉の泉質は切り傷をはじめ、末梢循環障害、冷え性、筋肉痛、慢性皮膚病などに効能があります。加水なしの100%源泉が楽しめる共同浴場「総湯」と、明治時代の総湯を復元して、純粋に湯あみだけを楽しめる「古総湯」があることも特徴。

総湯を中心とした周囲の街並みを北陸特有の呼び方で「湯の曲輪(がわ)」といいますが、こうしてかつての温泉地の原風景が残っているのも山代の魅力です。近くにある「薬王院温泉寺」が温泉の守護寺となっています。

加賀温泉郷:山代温泉の歴史

山代温泉の古総湯。夜にはライトアップされ、湯の曲輪を彩ります。

加賀温泉郷:山中温泉の歴史

同じく行基に発見された山中温泉は、山代温泉から車で10分ほどの距離。さらに山手にあるため、山と渓谷に抱かれた自然があります。鶴仙渓(かくせんけい)では、春から秋にかけて川床がお目見えすることでも有名です。

温泉街として栄え始めたのは、平安末期。能登の地頭・長谷部信連(はせべのぶつら)が一羽の白鷺が傷めた足を山陰で癒しているのを見つけます。白鷺がいた場所を掘ると5寸ばかりの薬師如来像が現れ、温泉が湧き出したといいます。そこで信連は12軒の湯宿を開き、それが山中温泉旅館の始まりになったといわれます。

加賀温泉郷:山中温泉の歴史

山中温泉の鶴仙渓。遊歩道が整備されており、歩くと40分ほどかかります。

山中温泉

住所
石川県加賀市山中温泉東町ほか
交通
JR北陸新幹線加賀温泉駅から加賀温泉バス山中温泉行きで30分、終点下車すぐ
料金
情報なし

加賀温泉郷:片山津温泉の歴史

一方、片山津温泉は日本海に近い柴山潟(しばやまがた)のほとりにあります。

歴史は一番新しく、江戸時代の承応2(1653)年、大聖寺藩2代前田利明(としあき)が鷹狩りに訪れた際、水面に水鳥が群れていたことから湖底の源泉を発見したと伝えられます。

前田利明はこの温泉を利用しようと何度も工事を試みましたが、水中にある湯源を確保するのが困難だったようです。開発が進んだのは明治時代で、ようやく人々が入浴できるようになったのは、発見から200年も経過してからのことでした。

加賀温泉郷:片山津温泉の歴史

片山津温泉は柴山潟のほとりにあり、それ以外の温泉地は、国道8号より山側に位置します。

加賀温泉郷を愛した多くの文人墨客

粟津温泉の開湯から始まった長い歴史のなかで、加賀温泉郷は多くの文人墨客に愛されてきました。

戦国時代には明智光秀が山代温泉で傷を癒し、江戸時代には松尾芭蕉が弟子の曽良と山中温泉に逗留しながら多くの句を詠みました。明治以降になると、高浜虚子、山本周五郎、棟方志功、谷崎潤一郎らに愛され、与謝野晶子は粟津、片山津、山代を訪れています

北大路魯山人が、山代温泉の旅館の主人らと交流するなかで陶芸と美食に目覚めたことも有名です。吉田茂や田中角栄ら歴代の首相も足を運び、政務の疲れを癒したようです。

恋多き竹久夢二と湯涌温泉

大正時代を代表する詩人画家・竹久夢二の人生は、女性たちとの出会いと別れによって彩られていました。

特に夢二に影響を与えたのは、笠井彦乃です。自身も絵を描くのが好きだった彦乃は夢二のもとへ通い、絵を見てもらううちに恋仲となりました。しかし、彦乃の父親が反対し、堂々と会うことは許されませんでした。

二人が最も幸せな時間を過ごしたのが、湯涌温泉(ゆわくおんせん)です。66日間にわたって北陸を旅し、湯涌温泉に3週間滞在しました。しかしこの翌年、彦乃は結核にかかり、満23歳の若さでこの世を去っています。

夢二はのちに友人に対し、「彦乃が死んだときに自分も死んだ。あとはただぼんやりと生きているだけだ」と語ったといいます。夢二にとって彦乃は永遠の女性で、湯涌での思い出は胸に深く刻まれていたようです。

恋多き竹久夢二と湯涌温泉

湯涌温泉にある金沢湯涌夢二館。

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・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

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