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広田遺跡や高橋貝塚などでわかった鹿児島の貝文化!弥生時代には南島産の貝を九州北部へ移送していた! 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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広田遺跡や高橋貝塚などでわかった鹿児島の貝文化!弥生時代には南島産の貝を九州北部へ移送していた!

弥生時代には貝が装飾品の素材として珍重されました。
南島産の貝を本土へと運ぶ際に鹿児島県域が重要な役割を果たし、独自の貝文化を形成しました。

鹿児島の貝を使った弥生時代の装身具が意味するものとは

弥生時代になると、九州の北部で貝殻を素材とする円形の腕輪がつくられるようになります。ゴホウライモガイオオツタノハなどの貝殻が用いられ、なかでもゴホウラが珍重されました。これらの腕輪は、埋葬人骨の腕にはめられたまま出土することも多く、ゴホウラは成人男性に、イモガイは成人女性の腕にはめられているケースが多くみられます。

同時期では、中国製の鏡や武具(刀剣など)、ヒスイやガラスの玉類を身につけた弥生人骨も出土しており、希少な品々が副葬されていることから被葬者は為政者(いせいしゃ)であると考えられますが、こちらは貝輪をはめていません。

つまり貝輪をはめている人物は、政事とは別の役割、おそらく祭祀(さいし)的な役割を担っていた者であると推測されています。このため貝輪は、単なる装飾品としてではなく、呪術的な意味合いが込められていたようです。

なお、これらの貝輪の素材は奄美以南の珊瑚礁に生息する貝なので、「南島産貝輪」と呼ばれています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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