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城柵を築き支配域を広げるヤマト王権と当時の山形の形とは? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月16日

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城柵を築き支配域を広げるヤマト王権と当時の山形の形とは?

ヤマト王権は徐々に北へと領域を拡大していきました。城柵の位置の変遷をたどると、ヤマトと蝦夷を隔てる境界の推移が見えてきます。

城柵・磐舟柵・渟足柵・出羽柵を築いたヤマト王権の成り立ち

3~4世紀頃に畿内(きない)に興ったヤマト王権は、各地の有力氏族を従えて連合政権を築きました。ヤマト王権では645(大化元)年にクーデター(乙巳の変)が起き、中大兄皇子が政治の実権を掌握。それまで豪族中心だった連合政権から、大王(おおきみ)(天皇)を中心とする中央集権的な律令国家へと変貌を遂げようとしていました。この一連の政治改革を「大化の改新」といいます。

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