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南部馬の育成のために設けらえた南部九牧

江戸藩政期に南部氏が治めた盛岡藩は、北は下北半島から南は現在の岩手県中部までの広大な領地を有し、領内の9カ所に藩営の牧場(南部九牧)を設けて、馬(南部馬)を育成しました。広い牧内には、種牡馬(しゅぼば)数頭と多数の繁殖牝馬が飼育されていました。生まれた仔馬(駒)は2歳になるとすべて吟味され売買されていきますが、良馬は藩が優先的に引き取って調教し、藩主の乗用馬や神社の神馬となったり、幕府や諸大名に献上されました。
また、江戸期のような戦乱がない時代には、馬が軍馬として活用されなかったため、頑強な南部馬は農耕馬としても流通し、高い需要があったといいます。

南部馬を育成した南部九牧の分布

南部馬を育成した南部九牧の分布
『もりおか歴史文化館第13回企画展 あの日あの時の盛岡4 馬のいた風景』(もりおか歴史文化館、2014年)を元に作成

南部九牧のうち、三崎野と北野の二牧以外の住谷野、相内野、又重野、木崎野、有戸野、奥戸野、大間野は現在の青森県内に位置します。最大の牧である木崎野の牧は、現在の三沢市にありました。

南部馬は軍馬として重用された

明治以降も南部地方の馬産は継続されました。日本の近代化の過程で、馬の重要性が増したからです。当時、農業の技術が改善され、農耕馬の需要が増加しました。また輸送手段としての馬車利用も進みました。さらに近代戦争における騎兵戦や兵站(へいたん)輸送に馬が欠かせないことから陸軍に重視され、軍馬の生産は国策にもなりました。そのなかで南部地方は軍馬の一大供給源となっていったのです。

南部馬は品種改良のため純血種がいなくなる

その後、南部地方では軍馬にふさわしい強く丈夫で速い馬をつくるため、品種改良にも積極的に取り組みました。海外からサラブレッドやアラブなどの種馬を輸入し、七戸や野辺地には国や県による種馬育成所や牧場が整備されました。こうした品種改良によって強健な馬は誕生しますが、いっぽうで南部馬の純血種はいなくなってしまいました

南部馬を擁する青森県の各地に残る競馬場の痕跡

馬産地の青森県には、青森・金木・八戸競馬場や軍馬補充部による軍営競馬場など、近代から現代にかけて多くの競馬場が設置されました。ですが1931(昭和6)年にできた青森競馬場は開催3年で休催。戦後に再開されますが赤字で廃止されました。同じく金木競馬場は年1回開催されていましたが1939(昭和14)年に廃止。八戸競馬場は1909(明治40)年に三戸郡鮫村に誕生。その後、鮫村から舘村根城に移転。戦後再開されますが青森競馬場と同時期に廃止されました。
これら競馬場の跡地は現在住宅地になっており、その痕跡は道路の形状や航空写真、地名などで、かろうじて見てとることができます。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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