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懐良親王は九州の武士を味方につけ北上を開始

その途上に立ち寄ったのが、肥後国八代郡の高田(こうだ)でした。そもそもこの地には建武の新政で論功が認められた名和義高(なわよしたか)が八代荘の地頭職に赴任しており、一族のひとりである内河義真(うちかわよしざね)が八代に下向して、古麓(ふるふもと)城を築いていました。そこに懐良親王の家来である中院義定(ちゅういんよしさだ)が、先行して高田御所(懐良親王御所とも。現在の八代市奈良木町宮園)を構えたといいます。

懐良親王は筑後川の戦いで勝利

1346(正平元)年のことでした。懐良親王は、その御所に10日ほど滞在したのち、八代を出発。1348(正平3)年に宇土に入り、菊池武光や阿蘇惟時(あそこれとき)らを味方につけ、隈府(わいふ)城(菊池城)に征西府を置いて、足利幕府が博多に置いた鎮西管領の一色範氏(いっしきのりうじ)や仁木義長(にっきよしなが)らの北朝勢力と一進一退の戦いを続け、1359(正平14)年の筑後川の戦いで勝利を収め、1361(正平16)年には太宰府攻略に成功して一帯を支配しました。

懐良親王は征西将軍職を退き筑後国に隠退

1374(文中3)年、懐良親王は征西将軍職を良成親王(後村上天皇の第七皇子)に譲り、筑後国矢部(現在の福岡県八女市矢部村)に隠退し、1383(弘和3)年に50歳あまりで没しました。

懐良親王の跡を継いだ良成親王

一方、良成親王率いる征西府は、その後、菊池、宇土と移り、1390(元中7)年の宇土陥落後は、再び八代の地に拠点を構えます。このころ、室町幕府は3代将軍・義満の時代となっていましたが、1392(元中9)年の南北朝合体を迎えるまでの3年間、南朝勢力最後の征西府として存続しました。

懐良親王を偲ぶ史跡の数々

現在、この地は小さな公園となり、「懐良親王御所址」と刻まれた石碑が建てられています。また、懐良親王のゆかりの史跡として、妙見町(みょうけんまち)には、菊地武朝が懐良親王の菩提寺として建立した悟真寺(ごしんじ)や、1878(明治11)年に認定された懐良親王御陵などがあります。

懐良親王を偲ぶ史跡の数々

室町時代の八代地方は相良氏と名和氏の攻防が続く

その後、南北朝時代から室町時代になると、八代を治めていた名和氏と、人吉・球磨地方を拠点とする相良(さがら)氏は、室町時代になると交通の要衝である八代地域をめぐって争うことになります。
1484(文明16)年には、相良為続(ためつぐ)が古麓城(ふるふもとじょう)を落城させて名和氏を追放しますが、1499(明応8)年には、肥後国守護職の菊池能運(よしゆき)の助けを得て名和顕忠(あきただ)が八代に復帰しました。ですが、1504(永正元)年には相良長毎(ながつね)が古麓城に入城して八代を再び相良氏の領地としてしまいます。

八代は島津氏の支配となる

その相良氏は、1581(天正9)年の島津氏との響野原(ひびきのはら)の合戦で相良義陽(よしひ)が戦死し、八代も島津氏の領地となりました。そして同年、肥後国の守護代となった島津義弘は八代の阿蘇氏も降伏させ、古麓城には島津家家臣の平田光宗が常駐することとなったのです。

豊臣秀吉の九州攻めによって八代の支配はまたも変わる

しかし、1587(天正15)年の豊臣秀吉による九州攻めによって、島津氏は八代から退却し、薩摩に戻っていきました。この九州攻めの最中には豊臣秀吉が古麓城に入城して4日間滞在し、キリスト教の宣教師ルイス・フロイスの面会も受けたとされています。

新しい領主によりゆかりの城が廃される

そして九州平定後、肥後は佐々成政(さっさなりまさ)の領地となりますが、佐々は国衆一揆の責を負わされて、1588(天正16)年に切腹。その後、八代は小西行長(こにしゆきなが)の領地となり、1048(永承3)年に築城されて、宇土氏や名和氏が代々使っていた宇土城(中世宇土城)の東隣に、新たに宇土城(近世宇土城)を建てたため、古麓城は廃城となりました。

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