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藤原定子の運命を変えた、長徳の変

兄の藤原伊周(これちか)が、花山法皇が自分の恋人のもとに通っていると勘違いし、弟の藤原隆家とともに法皇に矢を射かける事件がおこったのです。この事件を利用して、藤原道長は伊周兄弟を失脚させます。そして、藤原定子は出家という道を選びます。

その後は伯父の藤原道長が政権の主導権を握り、藤原道長の娘・彰子も入内(じゅだい)して中宮となったため、藤原定子の権勢は衰えていきます。しかし天皇の寵愛は変わらず、一男二女を出産。最期は長保2年(1000)、第3子を出産直後、後産に失敗して23歳の若さで亡くなりました

藤原定子や彰子が中心となった後宮サロンとは

9世紀後半の宮廷では、歌合わせや管絃といった遊芸が盛んになり、後宮の妃たちにも和歌や琴などの教養が必須となりました。
10世紀の摂関時代にはこうした傾向が高まり、妃を中心に文化サロンが生まれます。そのため女房には世話係のみならず、中宮の教育係としての役割も求められ、藤原定子は清少納言に、藤原彰子は紫式部にと、高い教養を持つ女性が抜擢されました。
たとえば藤原定子は、女房の清少納言に「香炉峰の雪はどんなであろうか」という問いをした際、清少納言は漢詩の知識を生かして、『白氏文集』にある「香炉峰の雪は簾をかかげて看みる」という一文を踏まえ、簾をかかげて庭の雪を見せられたといいます。

女性文化人が活躍する舞台として整えられた後宮サロンからは、藤原定子に仕えた清少納言のほか、藤原彰子に仕えた紫式部、和泉式部、赤染衛門などが輩出されました。

藤原定子サロンは貴族の間でも人気が高かった

清少納言を女房の筆頭に形成された藤原定子のサロンは、藤原定子が没したことによりサロンも消滅しましたが、『紫式部日記』からは、藤原定子没後も貴族の間に定子サロンを懐かしむ空気があったことがうかがえます。

そのこともあってか藤原彰子は、藤原道長の台頭で政治的に優位に立ったものの、藤原定子の没後も強烈な対抗意識を抱いていたようです。

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世界最古の長編小説ともいわれる『源氏物語』は、平安時代の宮廷を舞台に展開される主人公・光源氏と女性たちの恋愛模様を描いた物語で、今もなお多くの人に愛読される日本文学の古典です。ですが、全54帖という長編ゆえに最後まで読み通すのは大変困難な作品であることでも知られています。
本書はこの大長編小説『源氏物語』のあらすじと、作者・紫式部の人と生涯を図版と地図を豊富に用いながらわかりやすく解説した『源氏物語』の入門書です。

【第1部】紫式部とその時代
〔第1章〕平安時代の後宮生活
〔第2章〕紫式部の生涯

【第2部】 押さえておきたい『源氏物語』
〔第3章〕光源氏の青年時代―恋の旅路を歩む貴公子
〔第4章〕栄華の頂点―位人臣(くらいじんしん)を極めた光源氏
〔第5章〕宇治十帖―光源氏亡き後の世界

【監修者】竹内正彦

1963年長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程後期単位取得退学。博士(文学)。
群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現在、國學院大學文学部日本文学科教授。専攻は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。著書に『源氏物語の顕現』(武蔵野書院)、『源氏物語発生史論―明石一族物語の地平―』(新典社)、『2時間でおさらいできる源氏物語(だいわ文庫)』(大和書房)、『図説 あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語(青春新書インテリジェンス)』(青春出版社、監修)、『源氏物語事典』(大和書房、共編著)ほか。

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