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武蔵野の歴史:環境と成り立ち

大宝律令が制定されたのは大宝元(701)年のことで、10年後には平城京に都がおかれました。その頃は武蔵国がすでに形成されていましたが、それ以前の武蔵国はどんなところだったのでしょうか。

上毛地域(群馬県)は4世紀頃から古墳の築造が盛んで、5世紀には関東地方最大の太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)をはじめとする一大古墳群が出現しています。上毛の一大勢力圏に対して、朝廷は勢力の懐柔・支配につとめました。

こうしたなかで、朝廷と結び埼玉(さきたま)古墳群を築いた勢力があり、6世紀になると武蔵の中心的存在となっていきます。武蔵国は京や奈良からみれば遠く離れた地でしたが、朝廷は新羅郡(しらぎぐん)や高麗郡(こまぐん)などを開発するために人材を派遣していました。渡来人が多かったこれらの地を開発し、朝廷に馬を献上するなど京との往来がありました。

また、秩父で銅が発見されたとき、朝廷は大いに喜び、元号を和銅(わどう)(和銅元年は708年)と改元、和同開珎(わどうかいちん)の銅貨を発行しています。

武蔵野台地と下総台地にはさまれた東京低地にも多くの遺跡が発見されており、古墳時代前期には、水辺という環境を生かして漁を行い、作物を自給し、首長をおいて集団生活をしていたようです。

武蔵野の歴史:政治の中心地は府中市

古代の武蔵国の範囲は広く、律令時代には21郡を数え、人口は13万人を数えたといいます。周囲を信濃国(しなののくに)、上野国(こうづけのくに)、下総国(しもうさのくに)、相模国(さがみのくに)、甲斐国(かいのくに)に囲まれた地域で、ほぼ現在の東京都と埼玉県を含む地域と周辺を含んでいます。律令下では、国は大・上・中・下の四等に分けられましたが、武蔵国は大国に位置しています。

その武蔵国の政治の中心地として国衙(こくが)(役所)がおかれたのは現在の府中市です。府中は国府の中心という意味でつけられたものです。

国衙の場所は、現在の大國魂神社付近とされています。国内の著名な六所(ろくしょ)(小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)がここに合祀されたことから、大國魂神社は武蔵国総社六所宮(ろくしょぐう)とも称されています。

武蔵野の歴史:政治の中心地は府中市

武蔵国の国衛があった大國魂神社

武蔵国の範囲

武蔵国の範囲
出典:「フォトさいたま」のHPを元に作成

古代の武蔵国は広いです。ほぼ現在の東京都、埼玉県の全域に加えて、南部は神奈川県の一部(横浜、川崎)、東部は下総(千葉県)との境界、北部はほぼ利根川を境界とし、21郡から構成されています。この中では秩父郡、多摩郡が広大であることがわかります。そして、国府は多摩郡の現在の府中市におかれました。武蔵国全体から見ると、南部に中心があったことになります。

大國魂神社

住所
東京都府中市宮町3丁目1
交通
京王線府中駅から徒歩5分
料金
無料

武蔵野の歴史:発展と繁栄の時代

奈良時代中期、聖武天皇は国分寺建立の詔を発し、全国60余国に国分寺(国分僧寺、国分尼寺)が設置されました。武蔵国分寺はどこに設置されたのでしょうか。

これには、遣唐使が中国から伝えた四神相応(しじんそうおう) (東に川、南に低湿地、西に道路、北に丘陵)という風水学の考えが取り入れられ、武蔵国でその条件を備えていたのが現在の国分寺市でした。

国分寺の建立により、武蔵国は政治、文教の中心として経済、文化、産業などあらゆる面で発展し、画期的な繁栄の時代を迎えることになります。武蔵国分寺の規模は、ほかの国分寺の約3倍、最大級の規模でした。このことは、武蔵国がそれだけ大きな存在であったことを示しています。

武蔵野の歴史:発展と繁栄の時代

全国の国分寺のなかで最大級の規模だった武蔵国分寺。現在は国指定史跡として金堂や七重塔の礎石が残り、講堂の復元基壇が見られる

国指定史跡 武蔵国分寺跡

住所
東京都国分寺市西元町1~4丁目
交通
JR中央線西国分寺駅から徒歩15分
料金
情報なし

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・御神火が生んだ島々、伊豆諸島の誕生と火山の関係
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・玉川兄弟が江戸まで引いた ! 標高差わずか92mの玉川上水
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・渋谷は谷が密集してできた街だった
・千鳥ヶ淵はダムだった !?
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・“荒ぶる川”荒川の流路付け替え
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・関東大震災以降、東京は郊外へと拡がった。田園調布の開発と私鉄の発展
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【見どころ】Part.3 東京で動いた歴史の瞬間

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・片田舎の武蔵野は関東随一の大国だった
・文武両道の才人、太田道灌が江戸城を築城
・八王子城の落城と戦国時代の終焉
・江戸幕府開府と家光で完成した大都市
・迫られる外交方針 ! 徳川家光が定めた「鎖国」体制
・江戸を襲った明暦の大火
・江戸を恐怖の底に陥れた安政の大地震
・徳川慶喜の思惑が外れた大政奉還
・中央集権国家の誕生へ ! 東京の誕生と廃藩置県
・大久保利通暗殺、紀尾井坂の変
・江戸本所生まれ、郷土の偉人 勝海舟の波乱の人生を追う
・関東大震災 被害と復興
・“玉砕の島”硫黄島の悲劇
・条件降伏と玉音放送
・東京裁判とスガモプリズン
・敗戦から19年目の東京五輪
・学生たちは何を求めて闘ったのか? 東大紛争と安田講堂事件
・三島由紀夫、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決
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【見どころ】Part.4 東京で生まれた産業・文化

・吉原遊廓は文化サロンの一面も!?
・大衆文化の頂点に立った江戸歌舞伎
・開国要求への抵抗!「お台場」の由来は幕末にあった
・西洋スタイルの銀座煉瓦街が誕生
・日本初の第一国立銀行は日本橋で誕生した
・一丁倫敦と呼ばれた丸の内 職人が手作業で組み立てた東京タワー
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・都営白鬚東アパートは巨大防火壁だった!
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