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横浜開港場の決定と各国との修好通商条約の締結

1858(安政5)年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を締結。それまで幕府は長崎 (出島)で限られた相手とのみ貿易を行ってきましたが、黒船の圧力に屈してアメリカと条約を結び、さらにはオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を結ぶことになりました(安政五カ国条約)。

そして幕府は、貿易を前提とする開港場として、函館、新潟、神戸、長崎、そして横浜の5港を指定したのです。

横浜港の開港

横浜港の開港
イルミネーションでも名高い現在の横浜港周辺

アメリカ総領事のハリスは、当初は神奈川宿の開港を求めました。当時の港の規模を考えれば、当然の要求でしょう。

しかし、幕府としては、外国人と日本人の接触は避けたかったのです。人の往来が多い東海道筋で開港するのを得策ではないと判断し、約9万両もの巨費を投じて横浜港を整備しました。それ以前から横浜村に住んでいた住民を元村(現在の元町)へと移住させ、確保した用地に港湾施設を建設したのです。

日本人が外国人と交流をもつことに難色示した幕府は、横浜港に外国人居留地を設置し、その周囲に関所を置きました。このため、外国人居留地は「関内(かんない)(関所の内側)」と呼ばれるようになりました。

そして1859(安政6)年6月2日(新暦7月1日)に横浜港は開港し、現在でも6月2日は開港記念日に定められています。

突貫工事でつくられた横浜道

開港の地は横浜に決まりましたが、現実問題として、横浜港から東海道への交通は不便でした。

そこで幕府は、横浜港と神奈川宿を結ぶ陸路を設けることにしました。芝生(しぼう)村(神奈川宿と保土ヶ谷宿のあいだ)から新田間(あらたま)橋、平沼橋、石崎橋と架橋し、野毛の切通を開き、野毛橋(都橋)と太田橋(吉田橋)を架け、現在の馬車道付近を通過して横浜港に至るルートが開設されました。これが横浜道です。

工事は開港わずか3カ月前に始まる急普請で、しかも元請けの勘七という人物が孫請けに難工事を丸投げするなどした結果、予算不足で工事がストップしてしまいました。 幕府は、初代・横浜総年寄という行政職にあった苅部家10代当主、苅部清兵衛へ泣きつき、清兵衛が借金をしてまで工事を再開。どうにか開港前日に開通しました。清兵衛がのちに、 借金の取り立てに苦悩したことも付記しておきます。

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