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伊達家は地方知行制で62万石を統治!48人の重臣が領地を守った 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月14日

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伊達家は地方知行制で62万石を統治!48人の重臣が領地を守った

伊達政宗は広大な領地を治めるために、戦国期以来の重臣を登用。
徳川政権下で知行制は扶持米(ふちまい)制に変わっていきますが、伊達領内では長く知行制が採用されました。

伊達家の経済力は奥州では圧倒的だった

福島の伊達地方に起こった伊達家でしたが、政宗の代に豊臣秀吉によって岩出山に移封され、その後、徳川家康の許可を得て国分の地に移り、城を築き、まちを造りました。領地は政宗の時代だけみても大きく変わりましたが、政宗が名付けた仙台は、伊達領の中心として繁栄しました。ここを拠点としたことが、現在、100万人が暮らす仙台市の発展の基礎となっています。

伊達家の領地内には、大崎平野や仙台平野など広大な穀倉地帯がありました。表高62万石ではあったものの、実石は、さらに大きかったともいわれます。米が経済の基本であった戦国末期や江戸時代において、伊達家の経済力は、奥州諸侯を圧倒するものであったでしょう。

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