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伊達家と地方知行制

豊臣秀吉の検地以降、江戸時代に入ってもしばらくの間は、地方知行(じかたちぎょう)制がとられていました。知行制とは家臣に一定の領地を振り分け、年貢の徴収権などを与える制度です。

その後、地方知行制は、家格に応じて石高を決め、扶持米を支給する蔵米(くらまい)知行制(俸禄(ほうろく)制)に移行していきますが、伊達家では異なっていました。

伊達政宗は重臣であった片倉氏に白石を知行地として与えました。そのほか、主だった家臣に知行地を与え、施政権も付与しています。

もちろん、施政権は伊達家の意思を超えるものではなく、幕府と大名の関係に似て、参勤交代のような仙台参勤も行われていたといわれます。館主には仙台屋敷が与えられていました。

仙台城と白石城~幕府に許された一国二城~

白石城は、蒲生氏家臣が築城し、関ケ原合戦のころには上杉氏家臣が居城していました。その頃、奥州関ケ原合戦といわれる戦いで、伊達政宗が白石城を陥落させました。その褒美として、徳川家康は刈田郡など2万石と白石城を伊達政宗の所領とすることを認めたのです。

伊達政宗はその後、白石城を重臣であった片倉小十郎に与え、藩領南部の警戒に当たらせました。白石城は幕末まで片倉家の居城となっています。

徳川家康は1615(慶長20)年、居城以外の城の破却を命じました。一国一城令の布告です。これは、大名の力を削ぐための施策でしたが、主に、豊臣秀吉の配下にあった西国の大名を意識したものでした。

その点、奥州の諸侯は、もともと徳川氏に親近していたため、一国一城令はさほど厳しくなく、届け出さえすれば、白石城のように破却をまぬがれた支城がいくつかあったといわれます。

伊達家が続けた地方知行制によって仙台は小城下町に発展

江戸時代の早い時期に、ほとんどの大名家では、地方知行制から俸禄制に移行しましたが、伊達家では地方知行制が引き続き採用されていました。大身の家臣が領内四十八館(たて)の主となり領地を管理していたといわれます。

その一部を挙げると、金山(かねやま)(丸森町)、坂本(山元町)、角田(角田市)、船岡(柴田町)、小堤(こづつみ)(亘理町)、岩沼(岩沼市)、平沢(蔵王町)、上口内(かみくちない)(岩手県北上市)、人首(ひとかべ)(同県奥州市)、水沢(同県奥州市)など。

領内には48の館が設けられ、重臣がそこに居住しました。重臣たちは、おのおの知行地を開発し、館の周辺は小城下町といえるような体裁になっていたといわれます。

主要な知行地

主要な知行地
『図説 宮城県の歴史』を元に作成

幕府から正式に認められた「城」に政宗の腹心である片倉氏を住まわせ、そのほかの領内にある城館を「要害」と定めて重臣を置きました。ここに示したもの以外に、交通・商業の要地である「所」、農村の「在所」があり、上級家臣が配置されました。

伊達家が各館主たちに与えていた権限

それぞれの館主は知行地の領民に対し、独自の行政権、一定の裁判権を与えられていました。伊達家重臣の筆頭は角田を治めた石川氏。次いで、白石城を居城とした片倉氏らが知られます。

山本周五郎の小説『樅(もみ)ノ木は残った』の主人公・原田甲斐(はらだかい)もまた、時代は少し下りますが、船岡の館主でした。

伊達家が地方知行制を採用していた理由

伊達家が長く地方知行制をとった理由は、やはり62万石という領地の広さにあったのではないでしょうか。

たとえば、角田を治めた石川氏の知行地は、1820(文政3)年で2万1400石あり、大名家といってもよいほどの石高でした。仙台城主だけで62万石を治めるのは、なまなかに簡単なことではなかったのでしょう。

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