フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  東海 >

地図作りは情報収集が肝だった

飯塚:
当時は名古屋のアルプス社、北海道の地勢社、東京だと武揚堂など、各地方ごとに拠点を作っている会社がありましたが、都市地図で全国を網羅している会社は昭文社以外になかったんですよ。

うちは創業者の社長が一気呵成に攻めるタイプの人だったので、現場としては市ごと県ごとに情報を集めるのではなくて、全国の情報を一括してリアルタイムで集める専門の部署を作ることになったわけです。

今和泉:
それはすごい。

飯塚:
まぁ、全国の地図を作っていなければ、別にその都度でもいいと思うんです。でも、たとえば道路なら高速道路や国道は多くの県をまたぎますよね。だったら道路の担当をひとり決めて、その人が全国の道路のことを把握していれば、いつでも、どこの地図制作にも対応できるぞという考えかたです。

で、ちょうど私が入ったころにその環境が整いつつあって。

今和泉:
情報はどのようにして集めるんですか?

飯塚:
道路だと、当時の建設省や道路公団、都道府県、市町村など、その道路を管理している団体にそれぞれ聞きました。直接役所にお伺いして管理者から収集したり、年度予算の記者発表資料や官報、県公報を集めたりだとか。

あとは「住居表示」(1962年から始まった新しい住所表記)によって住所が変わることも多かったので、全市町村の住所変更情報を電話やアンケート用紙を送って問い合わせました。変更済みの箇所に加えて、またすぐ地名が変わっては大変なので、数年先の予定まで、決まっている情報はすべて押さえていきました。市町村の広報誌もたくさん郵送してもらって見ていましたね。

今和泉:
こっちから聞かないと教えてくれませんもんね。

飯塚:
そうなんですよ。国や県の機関には伝えてたんでしょうけど、市町村が自分の街の住所変更を民間の会社に教える義理はないですから。

他にも、情報収集活動として、定期的に全国の都道府県庁、主な市区町村役場を訪問し、資料や地図の収集、都市計画や道路管理、土地区画整理や公共施設建設の担当部署への取材を行っていました。

今和泉:
情報を足で稼いでいたんですね……!

ライバルに負けじと集めた交通情報

今和泉:
鉄道やバスについてはいかがですか?

飯塚:
鉄道の予定線の図面は各鉄道会社や、当時国鉄の新線建設を担っていた鉄建公団に事前に図面をもらいに行きました。廃線は当時から話題になっていたので、わざわざ聞きにいかなくても、何かしらで情報が入ってくるという感じでしたね。

ただ、鉄道が廃線になると、跡地の問題があります。道路になるのか、放置するのかで地図も変わってきますし、駅がなくなると、当然バスの経路も変わりますよね。なので、バス会社や地元の自治体に問い合わせるなどの機転をきかせる必要がありました。

今和泉:
昭文社では、特にバスの情報がかなり詳しい印象がありますね。

▲あの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で使われているのも、じつは昭文社県別マップルなのだ(クリックで拡大)

飯塚:
今はウェブやアプリなどが充実してきたので、残念ながら以前ほど重要な情報として利用されていないようですが、昔はバス停の位置情報は紙地図で見るしかなかったので、相当重視していました。

路線図をもらって、バス停の位置を地図上に載せて、それを先方に確認してもらったりだとか。そうして作った社内ネタ帳である「バス台帳」を毎年更新していく作業をしていましたね。

今和泉:
当時はそれを紙でやってたんですもんね。修正も大変だ……!

飯塚:
当時、名古屋のアルプス社がバス情報をものすごく正確に載せていたんですよ。私は彼らと接点はなかったんですが、アルプス社の地図はいつ見ても心憎いというか、ほれぼれする仕事をされていて。

だから、「俺らも負けていられないな」とがんばったんですが……。何せこっちは全国の地図を出してるので調べる範囲が広い広い(笑)。いや本当に大変でした。

今和泉:
「県別マップル」などを見ると、都市部の拡大図だけでなく、山の中までしっかりバス停が描いてありますもんね。これはすごいなと昔から思っていました。

▲都市部だけでなく、山間部のバス情報もしっかり記載している(クリックで拡大)

飯塚:
昭文社は民間会社ではありますが、扱っている「地図」は非常に公共性の高い商品です。お客さまから期待されている部分はやはり、バス路線はもちろん公共施設や道路・交通なわけですよ。

だから、そこに関しては「絶対に漏らしてはいけない」という強い気持ちでやっていましたね。

民間施設の情報を重視する時代へ

今和泉:
公共施設なら市町村で対応できそうですけど、民間の大型商業施設はどうやって調査をしていたんですか?

飯塚:
今和泉さんは「時代によって地図が注目するものは変わっていく」とおっしゃっていますが、我々としてもまさにそうで。「スーパーマップル」が出る以前は公共施設が中心で、民間施設で重視していたのは銀行や大規模店舗などでした。

だから、まずは公共施設を押さえて、民間施設については法規制上引っかかってくるものから調べました。たとえば銀行だったら、銀行協会の月報を調べて、変化がないかを調べたり、商業施設であれば、当時は「大店法」(大規模小売店舗法)という法律があったので、その申請図面を見たり、地方新聞から情報を得たりしていました。


今和泉:
業界団体ってたくさんありますもんね。

飯塚:
そうそう、百貨店協会とかにも聞きに行きましたよ。ガソリンスタンドはけっこう苦労しました。ガソリンスタンドって直営店はほとんどなくて、主にフランチャイズなんですが、地方だと個人商店が運営しているところもあって。当時はホームページもないし、情報を探すのが大変でした。それでも業界団体のリストを頂いたりして、情報管理を進めました。

今和泉:
民間施設を地図に載せる基準はどのようになっていたんですか?

飯塚:
基本的には、お店の規模がでかい店舗であるかとか、あとは全国展開をしているチェーン店かとか……。すなわち「規模の大きさ」と「知名度」「目標物としての視認性」などが基準ということになりますかね。

ただ一方で規模は小さくても、その町、地域で絶対に落としてはいけない地物というのもあります。地元の老舗、歴史的に重要な社寺ーーこういうものは編集者がその町の歴史、文化、地理をよく知っていないと、大切なものを漏らしてしまいます。編集者の力量が問われるところです。

今和泉:
ただスポットの情報を集めて、載せるだけではいけないんですね! 歴史や文化まで調べるという。

飯塚:
とはいえ、いち民間会社で全国の店舗の情報を集めなきゃいけないので、まずは全国的なチェーン店をいくつもピックアップ、それぞれにリストを作成して、各地域の担当者が地域別に振り直しておく。その上で「○○市の地図を作る」となったら、編集の際にひとつひとつ検証・確認していく、といった手順でした。

▲民間施設は各都市で大規模な店舗や全国規模のチェーンなど、「規模の大きさ」や「知名度」が掲載の基準(クリックで拡大)

今和泉:
ガソリンスタンドやコンビニもそうですが、ある時から交差点名なども載せはじめましたよね。

飯塚:
1990年代、道路地図に掲載する目標物は、それまでの公共施設、公共交通中心から民間施設へと大きくシフトしました。ちょうどこの時期、コンビニやロードサイド店舗などが全国で急増するとともに、道路標識の整備も大きく進んだのが背景にあったと思います。

今和泉:
これを把握するのは大変だったと思うんですが、どうしていたんですか?

飯塚:
1992年に「スーパーマップル」という地図を出した時に、情報の集めかたが大きく変わったんです。コンビニやガソリンスタンド、交差点名など、これらが重要視される時代が来たので、これまでの方法ではちょっともう厳しかろう、と。信号機や交差点名なんか、もう調べようがないですからね。

▲当時の「スーパーマップル」。表紙に「実走調査」と書いてある

飯塚:
そこで、できるだけ現地をクルマで走って、確認するようになっていったんです。だからほら、表紙に「実走調査」と書いてあるでしょう。もちろん、時間も手間もかかるので、「どの道を走行して、どのような情報収集を行うか」についてはずいぶん考えたし、苦労しました。

今和泉:
時代がその情報を求めていたんですね。それにしても、なぜそれが急に道路地図で求められるようになったんでしょう。

▲「スーパーマップル」以降は交差点名を掲載するなど、情報がどんどん詳しくなっていった(クリックで拡大)

飯塚:
私の知る限りでは、やはりアルプス社が出版した地図の影響が大きかったのかもしれません。アルプス社さんがそういったところまで踏み込んだ地図を出したということで、読者のニーズが高まったと。私が知らないだけで、もしかしたら他に先駆者がいたのかもしれませんが……。

少なくとも、私たちが「スーパーマップル」を出したときに、すでに書店の地図コーナーに一定数並んでいて、情報量の多さで人気を得ていたのはアルプス社でした。

今和泉:
またアルプス社の名前が出てきましたね!強力なライバルがいたから、昭文社も工夫を重ねてきたんですね……!

これまでの地図の常識を変えたスーパーマップル

今和泉:
ここまでの話をうかがうと、「スーパーマップル」の登場は昭文社にとってかなり大きな転換点だったんですね。

飯塚:
これはね、自分で言うのもおかしな話かもしれないけど、まさに「スーパー」の名を冠するにふさわしい地図だと思いますよ。まず第一に、これまでの地図とは同じ厚さでも、お話したとおり情報量が全然違いますので。

▲1992年に出版された「スーパーマップル」が大きな転換点となった

今和泉:
「スーパーマップル」の初版は1992年なので、地図の製作がデジタル化される直前に出ているんですよね。

飯塚:
そうなんです。デジタル化したから情報量が増えたというわけではなく、非常にアナログな方法で情報を集めたんです。だから、労力は非常にかかっていますね。

あと、「スーパーマップル」のスーパーたる所以はもうひとつあって、これは社内の共通認識というわけではなく、私個人の理解なんですけども、この商品が「都市地図」と「道路地図」が融合した、当社として全く新しい表現の地図だったということです。

今和泉:
はい。

飯塚:
じゃあ都市地図と道路地図の違いは何か?というと、都市地図は街(住所の表示)を強調するために、町域ごとに背景色を変えているわけです。

▲都市地図は町域ごとに色を変えているのが特徴(クリックで拡大)

飯塚:
隣り合った4つの町があれば、A町は赤、B町は青、C町は黄色、D町は緑、といったように、町別に塗り分けをするんですね。「住所がはっきりわかること」が大事なので、住所以外に余計な色は使わない。だから、都市地図では道路は白いままなんです。

「道路に色を入れると、情報が多すぎるじゃないか」という発想ですね。

今和泉:
紙の地図は町別に色分けをしているという話は以前させていただいたんですが、あれは都市地図で始められたものなんですね。

飯塚:
一方、道路地図というのは、当然ながら「道路」が主体であり、このような地図ですね。

▲道路地図では町域の塗り分けはないが、道路が区分別に塗り分けられている(クリックで拡大)

飯塚:
背景は白で、道路のほうに色を入れているわけです。国道は赤、主要な県道は緑、一般県道などは黄色、有料道路は青とかね。

道路の区分で色を分けてあげることによって、道路を目立たせているわけです。このように、都市地図と道路地図は明確に分かれていたんですね。

今和泉:
それが、スーパーマップルができたことによって……!

飯塚:
そう、都市地図と道路地図が合体した地図が生まれたんです。昔から地図をつくっていた人の中には、いかがなものかという意見もあったんですよ、当時ね。町別に色分けをして、その上さらに道路にも色を入れて、ガチャガチャしすぎじゃないかと(笑)。

▲たくさんの情報を入れつつ、見やすさを追求した「スーパーマップル」。結果として大ヒット商品となった(クリックで拡大)

今和泉:
当時の都市地図「ニューエスト」は道路に色を入れてなかったですね。

飯塚:
古い版はそうですね。せいぜい有料道路や主要な道路はちょっと黄色く塗っておくか、ぐらいでしかなかった。本格的に道路に色を入れ始めたのは「スーパーマップル」の頃からです。

こだわりを捨てたことで、ユーザーに支持された

今和泉:
このような表現の地図が売れるのか?という心配もあった中、発売された「スーパーマップル」は大ヒット。新しい地図のスタンダードとなりましたね。実は、私のように空想地図を描いている人たちは他にもいるんですが、「スーパーマップルで地図に開眼した」という人が多いんですよ。

飯塚:
それはうれしいですね。なぜこのような地図が生まれたかというと、私はやはり「アルプスショック」だったと思います。

名古屋のアルプス社が名古屋でこのような地図を出して、それが人気らしいぞという話になり、弊社の営業が大きなショックを受けたようなんですね。


今和泉:
アルプス社は東京にも進出していましたからね。アルプスがこのような地図をたくさん作る前に、昭文社は全国でこれをやるぞと。

飯塚:
そうそう。編集部としては「そんなこと一気呵成にできるか」って思うんだけど、「アルプス社はできてるぞ」って(笑)。で、北海道から九州まで、スーパーマップルを全国展開したんですよ。あれは本当に大変な仕事でしたね。

▲全国展開の結果、新しい地図のスタンダードとなった「スーパーマップル」。苦労の甲斐あって、現在も人気のロングセラーだ

飯塚:
さて、「スーパーマップル」の「スーパー」たる所以をもうひとつお話しましょう。都市地図と道路地図の違いはもうひとつあるんですが、都市地図は市町村単位が基本なんです。たとえば「神奈川県」とか「松戸市」とかですね。

今和泉:
「ニューエスト」なんかでも、ページを開くと「鎌倉市」などと出てきますね。

▲典型的な都市地図だという「ニューエスト」(1993年版)

飯塚:
そう、「ニューエスト」は典型的な都市地図ですね。「都市の中心駅から、これを見て歩くだろう」と考えているからこういう作りになるんです。

それに対して、道路地図は市町村をまたいで、クルマで移動することを前提に考えているから、メッシュ仕立てなんですよ。

▲メッシュ仕立てとはこのように、地図の範囲を網目のようにして、切れ目なくつなげていく方式のこと

今和泉:
都市は関係なく、メッシュごとに番号を振って、「西は前のページ、東は次のページ、北と南は○ページを見てね」という作りかたですね。

▲メッシュ仕立ての地図の例(初期の「マップル」)。左上に東西南北がどこのページかを表す「隣接図」がある

飯塚:
ところがアルプス社は名古屋圏で、「名古屋圏全域をちょっと分厚い1冊でまとめました」みたいな地図を出してきたんです。

アルプス社の地図は前半は市町村別の地図や中心市街の拡大図を載せ、後半はメッシュ仕立てという方式だった。これが、ユーザーからすると非常に使い勝手がよかったんです。かゆい所に手が届いたんでしょうね。弊社流に言えば、都市地図と道路地図を1冊に束ねたようなものです。

今和泉:
なるほど。

飯塚:
昭文社もこれに対抗すべく、策を練りまして。これは非常に迷ったんですが、我々は「基本的には詳細図をメッシュでいこう」とした上で「スーパーマップル関西」に取り組むことになったんです。

▲メッシュ仕立てが基本で、詳細図も載せた「スーパーマップル」。ピンクの枠が基本のメッシュで、紫の枠が詳細図になっている

飯塚:
地図を編集する側としてはあまり好きなかたちではなかったんですが、大都市部のみメッシュの「詳細図」(郊外都市はカット図)というかたちで、縮尺の大きい地図をつけることにしました。

今和泉:
私としてはこの広域図と詳細図が1冊にまとまっているのが好きなんですが、編集者はあまり好きじゃなかったんですね。

飯塚:
縮尺や連続性の全然違う地図を一緒に載せるというのは出版物としてスマートじゃないというか……。でも、お客さんにはそういうの関係ないですからね。おかげさまで、ものすごくたくさん売れました。

「スーパーマップル」における「都市地図(詳細図)と道路地図(広域図)の融合」がここでも大きな成果に結びつきました。これも「スーパー」たる所以です。

▲今和泉さんは好きだという「スーパーマップル」の詳細図(クリックで拡大)

今和泉:
こだわりを捨てたことで、使いやすさが上がったと。

飯塚:
そういう意味でも、アルプス社という会社は透徹したリアリズムの会社だったと思いますね。

今和泉:
アルプス社は、昭文社にとっても大きなライバルだったし、それがあったから地図業界が大きく発展したんですね。

アナログ時代最後の進化、ライバルの存在

知られざる紙地図の世界。デジタル化によって情報が整理され、デザインが大きく進歩したこともまた事実ですが、実はそれとはまったく関係ないところでも、地図は大きな進化を遂げていたのです。

まだ紙の地図しか存在しなかったころ、強大なライバルとお互いに切磋琢磨することで、デザインは洗練され、より見やすく。情報量も格段に増えていったのです。

では、ウェブ地図が広く使われるようになった現在、これからの紙地図はどのように進化していくのでしょうか。お話はまだ続きます。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

筆者
少年B

1985年生まれのフリーライター。地図自体に造詣が深いわけではないが、地図を見ながら「こことここの間に道路ができたら便利だなぁ」などと妄想を膨らませるのが趣味のひとつ。(Twitter:@raira21

エリア

トップ > カルチャー >  東海 >

この記事に関連するタグ