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信越本線の歴史①:成り立ち

信越本線はそもそも、明治の鉄道黎明期に計画された東京と京都を結ぶ中山道幹線(なかせんどうかんせん)の一部として建設され、高崎~横川間が1885(明治18)年10月に開通しました。しかし、時の明治政府は翌86年7月に、東西連絡幹線を東海道線に変更します。いっぽうで工事は着々と進んでおり、建設資材の運搬線の直江津線として直江津(なおえつ)~軽井沢間も1888(明治21)年11月に開通しました。

信越本線の歴史②:アプト式の採用と課題

この幹線鉄道は東京~長野~新潟間を結ぶ主要な交通路として整備されることになったのですが、横川~軽井沢間の設計・工事は難航しました。ループ線やスイッチバックなどさまざまな案が検討されますが、アプト式で66.7パーミルを最短ルートで上り下りすることに決定し、1893(明治26)年4月に同区間は開通しました。アプト式とはラックレールと呼ばれる歯軌条(しきじょう)を線路間に敷き、機関車の歯車と噛み合わせて運転するもので、専用の機関車が製造されました。当初は蒸気機関車でしたが、トンネルが多いため煤煙などに苦しめられ早急な電化が望まれていました

信越本線の歴史③:アプト式の廃止に至るまで

そこで1912(明治45)年5月には電化され、10000(EC40)形のほか多くの電気機関車が開発され長らくアプト式の時代が続きました。しかし、運転速度が遅く、通過できる車両数が限られ輸送密度も小さく、機関車も老朽化し、横川~軽井沢間の輸送力は限界に達していました。そこで、アプト式を使わない粘着運転(一般の鉄道と同じ車輪とレールの摩擦で運転する方式)に切り替えることになり、強力なモーターや発電ブレーキ、数々の保安装置を搭載した専用の補助機関車EF63形を製造し、1963(昭和38)年にアプト式を廃止します。新たに建設された新線で運転を開始しました。

信越本線の歴史④:北陸新幹線の開業と碓氷峠越えの終焉

のちには169系・489系・189系電車と協調運転(EF63形の制御で電車の動力を駆動させる)を行うことで、輸送力も大幅に増強され長く活躍しますが、北陸新幹線の開業で横川~軽井沢間は廃止されます。100年超となった碓氷峠越えの歴史に幕を下ろしたのです。

信越本線の歴史を物語るアプト式をはじめとした遺構の数々

廃止後も線路跡は旧線、新線ともにほぼそのまま残された遺構も多くあります。長野県内では軽井沢駅の駅舎が復元され、しなの鉄道の駅舎として利用されているほか、軽井沢駅にはアプト式の10000形のトップナンバー、晩年まで活躍したEF63形の2号機が保存展示されています。

信越本線の横川~軽井沢間(1993)

熊ノ平~軽井沢間の新線は、一部を除いて旧線を改修して下り線に利用され、上り線は新設されました。熊ノ平信号場では旧線のアプト式に加え、1963(昭和38)年に単線で開通し1966(昭和41)年には複線化した新線の遺構が残されています。旧線に架かる碓氷第三橋梁(めがね橋)は、日本最大級のレンガ4連アーチ橋で、ほかの4つの橋梁などとともに「碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定されています。また、アプト式の旧線跡、横川~熊ノ平間の約6㎞は遊歩道「アプトの道」として整備されています。

1:25000「軽井沢」平成5年部分修正測量(高速道路)

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Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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